つい、大仰なタイトルをつけてしまった。
実際には、「生き残るために必要なこと」について、たいして考えてはいないのだけれど、最近、お花で古典花をはじめたのだ。
華道の歴史は、室町時代から始まると言われていて、その時期、剣山はなかった。なので、花器というか、壺みたいなのに“投げ入れ”をするのが一般的だった。
バランスの良い花形の法則などが整えられてくると同時に、どうやって花を保持するか、についても研究が重ねられてきた。そこで生まれたのが、短い枝を壺の内側に渡して、それにひっかけるという手法だったり、藁を束にしたものをつっこんで、その藁の間に差すというやり方だったり。
そのなかで、花形と支持法が洗練されて、一定の形式が整えられてきてできたのが、古典花なんである。
ちなみに、古典花も、立花と生花というのがあり、立花は、仏様にお供えするお花の流れを組んでいて、より細かい決まりがいろいろあり、しかも9種類ぐらいの花を生ける。生花は花の種類も1種類か2種類で、より自由に活けられるようにしたものである。
ちなみに、立華はこんなの。
お生花はこちら。
形が決まっていて、しかも剣山を使わずに活ける古典花はちょっと難しいので、龍生派では、自由花がある程度進んでから、お生花、それができるようになってから、立華と進むようになっている。
私は、大学の頃にお生花を始めていたのだが、長いブランクを経て最近また、再開した。
こんな感じで。
この一番上のは、お生花を始めるときに最初にかならずやる、リアトリス。棒状の花なので、入門の練習に最適。
で、少しずついろいろやっていくと、この洗練された花形のなかにも枝の見立てや使い方でいろんな工夫とかアレンジがあって、それが個性や味になってでてくる、と言うのが分かってくる。
古典花ならではの清楚な美しさに魅了され、細かく見る目も養われてくるに従い、もっと上手くなりたいなぁと、ついつい思うようになるのだ。
そうなると欲が出て、立華もやりたいなぁと思うようになってくる。
しぁかし!
計算してみたら、今よりペースを上げて頑張っても(月に2回)、立華に取り掛かるまでに10年ぐらいかかるということが分かった(泣)。
そのころには、私、60歳を超えてしまうよ。
いやそれはまだよいとしても、先生(一番上の立華を活けた先生)が、80歳を超えてしまうんである(!!)
ちなみに、私が中学校の頃、お花を始めた時に教わっていた先生と、大学入学後に千葉に引っ越してきて教わった先生は、すでに他界なさっている。
大学院の頃に教わっていた先生も、90歳を超え、最近は研究会にもあまり顔を見せないとのこと。
そして、若い人々は華道人口は大幅に減少。
現在の華道教室でも、私はどっちかといえば若い部類である。
立華を教えられるようになるまでに、25〜30年ぐらいかかるのに、先人がどんどんお別れを告げるなか、受け継ぐ人々がどんどん先細りになっているのだ。
ああ、どうして続けていなかったの、私のバカバカバカ。
社会に対して、ほとんど意味あることができていない私でも、ただ続けていさえすれば、文化の継承の担い手になれたかもしれないのに!!
というわけで、
「伝統を守るために必要なこと」とは、長く続けること、
に他ならないと思う昨今。
ちょっとカッコよく言うと、
「時を味方につけること。」
始めるのは早いほどよいし、止めるのもできるだけあとが良い。
と、若造の私に、そっと耳打ちしたい・・・。