のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

自分を生かすにはどうするか

ものすごく個人的な話なのだけれど、私は自分を責める傾向が強い。ジョナサン・ケイナーの星占い(http://www.cainer.com/japan/)では、それをうお座の特徴として端的に表現していた。
何もかも自分のせいだというふうに感じる。
ああ!もう、そうなのそうなのそのとおりなのよ。
と、深くうなづく。
働かずに夫のお金を使って生活するのはいけないことだと思うし、自分だけ好きな演劇を見るのも悪いと思う。遅刻しそうになって飛び乗った電車が人身事故にあえば自分の行いが悪いからじゃないかと不安になり、もし会社が火事になっていれば自分が何か不始末をしたからじゃないかと心配になる。
かくして、自分が存在していることすらいけないことに思えてくる。


だから、他人と喋るときにはいつも不安との戦いになる。あんなことを言ってしまった。相手はどう思っただろう?軽蔑されたかもしれない、嫌われたかもしれない、思いはふくらみ、気持ちは卑屈になっていく。


かくして、たまらなくなってその感情を口にする。
「自分がキライ」


けれど、今日気づいたことは、「自分がキライ」に行き着くまでの道のりは人それぞれ違う、ということだ。または、そこからさらに派生する感情や思考も人それぞれということだ。すごくシンプルで当然なこの事実に、けれど多くの人々は気づいていない。気づいていない、というよりも、普段意識することはほとんどない。


ほとんどの人は、自分が過去経験した同じ「自分がキライ」という感情とそれをとりまく複雑な気持ちを思い出し、それを適応することで「うんうん。わかるよ」という。


本当はわかってなんかいないかもしれないのに。
本当は相手はぜんぜん違う気持ちを抱えているかもしれないのに。


ハッピーなことを言い続けるとハッピーになる働きがあるのは本当だと思う。運が良いと思って感謝し続ければ、その通り運は向いてくる。けれど、それなら今、これだけ、潜在意識の成功法則について沢山の本が出ていて、みんながハッピーになっていないのはどういうことなんだろうか。


自分の幸せを信じるのはそう簡単なことじゃない。たくさんの自己啓発の本を読んで、なんとなく違和感を抱えながら、どうして言われたとおりにできないんだろう、とずっと考えてきた。
そして、ふと、気づいた。これは、この本を書いた人の気持ちで書かれている本で、その気持ちから起こす行動の仕方だから、私には合わないのかもしれない、ということに。


たとえば、ものすごく心配性な人がいる。
その人に向かって、現在とても成功していて、いつも自分の運のよさを信じ、感謝している人が、俺みたいにしてみなよ、絶対にうまくいくから、といったところで、本当に同じようにできるだろうか。だって、最初から「運がいい」とすんなり思えるなら、心配性で悩むことなんか無かったんじゃないだろうか。


そうした信念の弱気な人のためのノウハウ、というものちゃんと考え出されている。毎日鏡を見たり、願望を書いた紙を張ったり、読み上げたりしつづけろ、というやつだ。けれど、それを続けるのにもある種の信念が必要なのだ。これがいいよ、と言われてすぐ実行できるなら、そりゃすでに成功しているわ!と思うのは私だけじゃないだろう。(たぶん)


何が言いたいのか。
つまり、成功者がよく言うような、自分は成功に値する人間だ!と単純に思うのを邪魔している何か、も大事な私の一部だ、ということなんです。
自分が幸せに値する人間だ、と思い、いろんな物事に感謝して一生懸命取り組む、こと自体はすごく必要なことには変わりない。けれど、そう思うようになるまでの道のりは、いま、自分が抱えている問題のコアによって、その問題が自分のどういう素質によるものか、そうした自分の特性はどういうものか、によって変わってくるんじゃないかと言いたいのです。
たとえば、自分の嫌いな点があって、その状態のまま受け入れられる人と、られない人がいる。受け入れられない人は、本来の自分の良い面を伸ばすことで受け入れられるようにするほうが、ずっとよいのじゃないかと言うことなのです。


はぁ。説明が難しい。
これはイコール、実践の難しさを物語るのかもしれない。
でもこれが、今の私の新たなる目標です。
自分の嫌いな点も、元を正せば、よくある普通の何がしかの性格の傾向であり、それにはきっと良い面、良い使い方もある。それを探して上手に使うすべを見につけたいのです。