本を読んだり、対談を聞いたりして、いろいろと思うことがある。
メモ的に書くと、最近読んで勉強になったのは、こちら。
- 作者: 山本七平
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1988/08
- メディア: 文庫
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この本は、過去、日本が到底勝ち目のない戦争に突き進み、しかも途中で引き返すこともなく、ずぶずぶと悲惨な泥沼に足を取られ続けていってしまったのはなぜか?を検証した本だ。著者の山本さんは、その原因は日本的な「軍隊式思考法」にあると考え、その詳細な分析をしている。
ごく簡単に言うと、この軍隊的思考法とは、マスコミなどによる情報統制によって促進される、「判断」と「事実」の混在によって進む。
今風に言うと、忖度、といってもいいんじゃないかと思う。
どういうことかというと、客観的な事実やデータは恣意的に隠されていて、でもそれを探す努力はせず(あるいは知っていても黙して語らず)、ただ周囲の「倫理的」圧力に見合った意見を自らの保身のために述べるということだ。
作者の山本さんの目的は、そうした記事を書いた人(たとえば、南京虐殺事件の象徴として語られた「百人斬り競争」を記事にした本田勝一氏とか)を非難・糾弾するにあるのではなく、そうした「思考法」が、誰にでも起きうることを述べようとしている。つまり、周囲の多くが「人として非難されるべき!」と声をあげている中で、本当の事実に目を向け、実際はどうだったのかをきちんと検証しようとする姿勢を持つことの難しさと、勇気の大きさを伝えようとしているのだ。
そしてもう一つは、東浩紀さんと宮台真司さんの対談で、二人が声を合わせて叫んでいた、「他人のニーズに従ってはいけない!」ということ。
こちらは、今の私たちが住む資本主義社会において、顧客のニーズに応えるということをやり続けると、どんどん私たちは劣化していくので、どこかで「他者のニーズに応える」ことから脱却していかなければならない、という話だ。この「劣化」の最たる例は、マスメディア。テレビとか、大新聞とか。
そしておそらく、多くの大企業も同じ路線を走っている。
もう少し具体的に言うと、この二人が語っていたのは、まず、最近の人々の多くが感情的、知的に衰退している、なので、そういう人々の要求に応えることを続ける結果、安っぽく耳に聞こえがよいものばかり世の中に溢れることになり、敵・味方を分け、格差が広がり、分断が進む一方になる。だから、他者のレベルに合わせるよりも、本質的に自分が望むものを直接自分の身近な人々と共有していこう、ということです。
この1つめも2つめも共通しているのは、今の社会に通奏低音のように流れる、ある思考方式の指摘であり、そこから脱却の提示だと思う。
少し乱暴だけれど、少子化も、過労死も、いじめ問題も、源流は一緒のような気がする。
えーっと、何を書こうとしたんだっけ・・・。
ああ、そうだ、つまり私も、これから他人のニーズに応えるところから、脱却を図りたいと思うのだ。
ここで言う「他人」とは、自分とは直接関係のない人たちのことだ。つまり、得体のしれない『世間様』のことであり、実在しない『現実』を押し付けてくる、常識をかたる人々だ。
そろそろ、私とは直接関係がない人たちから距離を置き、自分自身の魂が喜ぶことを選びたい。
そして私は、世間的価値観に縛られる生活から足を洗いたい。しかし、洗いたい、洗いたい言っているのは、いかに洗えていないかの証明であるようで、少し心は暗い。。
今日、相談に来た学生は、パン屋のアルバイトでやった、パン作りが好きだったと言っていた。パートのおばちゃんたちの人間関係が醜く、そこから逃れたくて辞めてしまったけれど、パンをこねるのは大好きだったと。
その店のパンを好み、買ってくれる、自分のお客さんがいて、自分は、今日できる最高のパンを作ることに専念する。そこで、ひたすら汗を流すことは、きっととても楽しく、美しい。
そんな、混じりけのない営みに、私もとても惹かれる。