のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

思念

なんとなく、ホラーっぽいタイトルに見えるな・・・。
けど、内容は全然こわくないですよ〜。


昔、ハワイに行ったときに、同行したサイキックな人々が話していたところによると、死んでしまった人の思念というのは、その人がお亡くなりになった場所とかよりも、意外と持ち物のほうに強く残っていることが多い、といっていた。


そして今、私の目の前には、昨日うちを訪れた人が残していった、スターバックスラテ、グランデのカップがある。


このカップを見ると、彼女の笑った顔が思い浮かぶ。
親密さを感じさせるくだけた話し方、
少し低い、穏やかな声、
時々飛び出す、いたずらっぽい皮肉を交えたユーモア。


それは、私の中の記憶。
私に投影された彼女の姿。
そうわかってはいても、もしかしたら彼女の何かが分かるかも知れないと思って、カップを手に取る。
日本には3,4日しかいないという彼女が、今見ている景色を見ることができるかもしれないと。


けれど、そんな私の夢想は大体において、さほど大きな広がりは持たない。
緑色のスタバのマークがついた大降りの紙コップを、
糸電話みたいに耳に当てても、
特に何も聞こえない。


そとは小さな粒のような雪が降り始めている。
夜の闇を伝って響いてくる何かを感じたくて、
でも、見つからない夜。


そんな鈍感な私にできるのは、やはりリアルに「会う」ことなんだろうと思う。


最近出会う人たちは、
ことごとく私に何かのメッセージを伝えるために現れているような気もする。
でも私は、受け取っているのかいないのか、よく分からない。
分からないけれど、でも出会っているということは、多分、何かに導かれているのだろう。
ただゴールに向かって一直線に進むのもいいけど、回り道や道草も楽しいことだ。
回り道や道草を楽しめる、恵まれた境遇を感謝しよう。


ジェームス・スキナー曰く、
感謝することは、自分にも良いことがあると認めることだそうです。
ちなみに、許すとは、もうそのことに振り回されない、ってことです。
言葉には、力強い定義を与えると、より大きな力を発揮するものですね。


そして、いっぱい出会いを繰り返すうちに、近々待望の、私のメンターに会える日が来るかも。
そんな予感を抱きしめて、
眠りにつこう。