のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

本当の自由?

下記は、「In Deep」という、私がしばしば読むブログで
引用されていた、The Lie We Live (Spencer Cathcartさん作)からの転載。


『The Lie We Live / 私たちは嘘の世界に生きている』

今この瞬間、あなたはどこにでもいられるし何でもできる。
なのに、あなたはこの画面の前に座っている。
一体やりたいことや、なりたいことから私たちを遠ざけているものは何なのだろう。
毎日、同じ部屋で目覚め、同じ道を通り、昨日と同じ1日を生きる。
かつて私たちの日々は、時間で縛られてはいなかった。
途中で何かが変わってしまったのだ。
今はすべてが計画されている。
これが自由になるための成長ということなのだろうか。

 私たちは本当に自由なのだろうか。


 さて、私もそこはかとなく、同じようなことをずっと感じている。
自分のやりたいことや、なりたいことから遠ざけているものは
何なのか?

 昨日の相談で、私は自分がものすごく嫌な振る舞いをしていたことに激しい嫌悪感を感じていて、それで気分が悪い。どんなふるまいかといえば、常識的に実現可能な職種の就職へ、本人の抵抗をほとんど無視して誘導するという、カウンセリングマインドの欠片もない行いだ。
 どうして、私はこうなってしまったんだろう?
 
 ひとつわかっているのは、自分自身はこの現代社会のシステムにハマりたくないと思っているくせに、人をそこにうまく滑り込ませることが求められる仕事をしている(そして、それに知らず知らず順応している)という、自己矛盾があるということだ。
 そこでは、自分自身が中途半端な妥協の人生を送っているがために、人々に対しても、心が少しずつ擦り減り続けるけれど、修復不可能なほどには傷付かない、そういう道を指し示そうとしている。

 でも中には、大企業に就職したい人とか、TV局に憧れるとか、自らこの社会システムに身を投じたい人も多くいる。それは、本来の私の主義や好みとは全く合わないはずなのだ。それでも話を聞く以上、それぞれの好みや傾向を強要しなければならない。けれど、本来私はそこまでの懐の大きさが無いのだと思う。というか、それは「懐が大きい」ことなのか?とも思っている。

 本来の自分の性格上、私は相手とぴったりとくっつくか、かなりの距離をとるか、しかできない。なので、背中に無数のとげを突きたてながら、よいしょよいしょと近づいて行ってしまう。

 さて、私たちは、本当に自由なのだろうか?
 物質中心主義が骨の髄まで染みこんで、お金にあらゆる判断基準を持っていかれて、大企業が地球を席巻するのを許し、自分の魂を何に捧げているのかも分からない。

 ほんとうは、もっと本気で考えなければいけないのだと思う。
 常識知らずでわがままで、協調性がなく、頑固な、手におえない若者のほうが、ずっと正しい道を、閉まりかけた門の向こうにある(あったはずの)人類の進化への道を、行こうとしているのかもしれないのだから。