のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

生け花、はじめました

 以前習っていた、生け花を始めた。
 しかし、実はむかし習っていたので、「再開」というのが正しい。とはいえ、あまりにブランクが長いので、
 「始めましたー!」
という方が気分的には合っている。

 で、今日の作品はこちら。


 (どうして、背景にもっと気を遣わないのかが悔やまれるのだが、それが私の性格というものだ)
 
 私は、中学生から生け花を始め、大学院を終了したぐらいまで続けていた。
 始めたころは、
「将来、生活に困ったりした時にでも、何かの足しになるかもしれない♪」
などと十代らしく浅はかな皮算用もあったのだが、結局、何事に対しても根気が続かない残念な気質により、実りのない終末を迎えた。


 それがですよ、この度、マンションのエントランスに私が生け花を飾る、ということになったのである。それで、二十数年のブランク(と思っていたが、実際は、教授資格を持つ唯一の証拠品となった研究会の賞の楯には昭和63年と記載。つまり、三十年ぐらいのぶらんく)は、さすがにヤバい(汗)、ということで、お稽古を再開するに至ったのだ。


 そんな30年ものブランクで、よくいきなり『エントランス』とかに躍り出ることにしたね!?、と、もしかしたら誰かに突っ込みを入れられるかもしれない。しかし、
 「なんかやれば、できるんじゃね?」
 と思ってしまったんである。


 これは、「若い時の苦労は買ってでもしろ」という諺にも含意されているように、若いころに身に着けたものは、意外にその後安定的に定着するという理由からだと思われる(たぶん)。
 私がお花を習っていたのは、どう長く見積もってもせいぜい10年しかなく、そのあと、離れていた期間はその3倍以上にもなるのだけれども、感覚的には人生の半分ぐらいは続けていた気がするから不思議だ。


 まるで、まだ汚れていないスポンジが最初に吸い込んだ色を、そのあとあとまでずっと残すように、若い時に学んだことというのは骨の髄まで染み込んで、そう簡単には消えないのかもしれない。


 なぁんてね。こんな、エラそうなことを言っているのは、きっと今日のお稽古で先生に
「あら、上手ね。そんなブランクがあるように感じないわよ〜」
 と、おだてられて、すっかりいい気になったせいなのだろうけど。

 とにもかくにも、旧知の仲が良かった友達との再会みたいに、生け花のお稽古は嬉しく楽しかった。
 「私たち、きっとまた、いつか巡り合えるわよね。」
 そう信じて別れたあの人と再び逢いまみえた、みたいな感じ?がちょっとしているのであった。

 しかし今回、一点だけちょっぴり衝撃的だったのは、私が若かった時よりもずいぶんと生け花人口が減っていたということだ。私が師事した3人の先生のうち、お1人は亡くなり、お1人は89歳で体調不良につき活動休止中(もうお1人は名前を失念して消息わからず)だった。それだけの時間が流れたのだから、高齢となった先生がこの世を去るのは仕方ないにしても、若い人の入会があまり多くない。華道界の少子高齢化(と人口減少)は、社会一般よりさらに速いスピードで進んでいるようである。

 お花って、楽しいのに。あまりやる人が増えないのは、お金がかかるからであろうか。たしかに、私にとってもそれは、少し再開する上での障壁だった。
 それでも、多くの人の目に触れるエントランスという舞台にあえて躍り出てしまった自分は、きっとやりたかったんだろう。根気のない私は、衝動的に辞めてしまう一方で、簡単に勢いでも始められるのだ。
 人の性格は、いろんなところでトレードオフしているものだなぁと思う。