のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

あらしのよるはすてきだね

 新聞を読むと、書きたいことがもりもりあふれ出てきてしまう。


 今日の朝日新聞に乗っていた大江健三郎氏の寄稿文について、である。
私なりの大雑把な理解で、かいつまんで内容を言うと、大江氏は、
闇夜に友達となった狼とヤギが、食うものと食われるものとの
つらい定めを乗り越えるために自分の命を差し出す「あらしのよるに」という
物語を紹介しながら、同時に西村真悟衆議院議員が「国のために命を投げ出しても
構わない日本人を生み出す」との倫理観の鈍い発言を批判し、
自らも生きる、ともに生きる新しい道を探る可能性を提示していた。
(それはまとめすぎちゃいます?、と疑う方はより高尚で考えつくされた
原文をお読みください。)


今日、山口はとても寒い。
冷たい風を受けながら、私は自転車をこぎ、
主人がいなのをいいことに、禁じられたソファーの上でトビーが
丸くなっている(に違いない)暖かい部屋への道を急ぎながら、思った。


『「いのちを かけても いいと おもえる ともだち」という
美しい言葉は、使われ方でむごい強制をもたらすからです。「ともだち」を
「家族」「国」「世界」と置き換えてみてください』
と大江氏は書く。
私は、この深い慈愛と洞察、崇高な倫理感に満ちた文章にすら、
生物学的に不可避の、闘争本能や競争心が前提として横たわっていることに
気づかされた。


男性には、自分の意思とは無関係に、内部から湧き上がる抑えきれない衝動を
拒絶するため、修道僧なら女性を悪魔になぞらえるほどの苦悩があるらしい。
女性にはいとも簡単に手放せる価値観を、守り続けることで彼らが孕む矛盾は
私たちにはまた、別の部位で現れる同じ病いのようなものかもしれない。


男性と女性が違うのは、幸いである。
と、キリストが言ったかどうかは(クリスチャンじゃないので)知らないが、
彼らの悩みは彼女たちの悩みではなく、その逆もまたよくあることだ。
女性知事だけで集まって会議、なんかしないで、男女ともに共同参画、
すればいいのに。
いつも思うことです。