のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

高1の姪から教わる、ゆとり教育

先日、高校一年生の姪が電話してきた。小論文の宿題について相談したいと言う。テーマは「ゆとり教育が学食低下を招くという批判についての意見を述べよ」だ。
 自分の姪なので遠慮なくいうが、彼女は、的確な文章表現および逸脱のない論理展開の両方が苦手である。だからこそ、はるばる5000kmの遠距離をものともせず私に電話をかけてきたわけだが、そこで私が大人びた「解答」を教えては何にもならない。自分の意見を自分の言葉で語れるようにするのが、小論文の大きな目的である。そこで、まずは、常識にとらわれない彼女なりの率直な意見はどうなのか、を質問した。
彼女のゆとり教育に対する意見はシンプルだった。それは、小中学校で勉強する内容が減っても、大学入試のレベルは変わらないから、高校に入っていきなり大変になってすごいメーワク、というものである。それはそれで、当事者である高校生にしか主張できない貴重な意見である。ぜひ、正直にそう書いてほしい。と言ったら姪は、「えー、そんなんでいいのぉー?」と極めて疑わしそうである。私への信頼が急降下で地に落ちていくのが目に見えるようである。まぁね、確かにね、学校の先生はもっと高尚で奥が深そうな論説文を好むよね。この正直すぎる内容で、前回Bだったキミの小論の評価がB○になるとは思えないし、と、私もすぐさま同意し、もう少し高尚な論説が書けるよう作戦会議を続けた。
そして電話を切った後、私は改めてゆとり教育について思いをめぐらした。おもえば、私もゆとり教育の始まりを少しだけ経験している。それは、理科だか社会だかの時間が少し削られる代わりに、時間割の中に「ゆとりの時間」が突然出現することで始まった。高校のころ、私たちはこの「ゆとりの時間」を利用して、近所の博物館に行き、落ち葉を掃き集め、それを燃やして焼き芋を焼いた。なかなか楽しい時間を過ごしたものだ。
私の理解によれば、ゆとり教育は、校内暴力が吹き荒れ学校が荒廃した原因が子供たちへの詰め込み教育にあるとして、もう少し子供らにゆとりをもたせようよ、という趣旨で始まったと記憶している。校内暴力は、ちょうど私たちの世代が中学校のころ全盛期(?)だった。ごく普通の公立中学校であった私の学校も、そのころは廊下にタバコの煙が蔓延し、授業中に後ろの席で公然とシンナーを吸う生徒すらいた。よく考えると、あのころの私たちの所業が、現在の小中学校の中身の薄い授業やら、高校へのしわ寄せやら、国際的にも低レベルな学力につながっているのかもしれない。ちょっと姪に申し訳ないような気分になった。
私としても、学力の国際比較で、日本が諸外国より上位にあれば嬉しいし、πはNASAと同じに3.14を使ってもらったほうが誇らしい。けれど問題は、そうした瑣末な学習内容とは別のところにある気がする。「ゆとり教育学力低下を招いたとの批判についての意見」は、現役高校生よりも、荒んだ学校生活を潜り抜けてきたはずのオトナにとってこそ、考えるべき切実なテーマなのかもしれない。