のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

人間並み

イギリスのアラン・チューリナーが提唱したチューリナーテストは、人工知能の知性を測る方法で、姿を見ずに相手と対話し、人間と変わりないと思われれば、人間並みに知性があるとみなされる。アメリカのレーブナー賞コンテストでは、人工知能ソフトの「人間らしさ」を競う大会だそうで、今年は常連のアリスが優勝した。といっても、アリスの人間らしさは完璧とはいえず、最高賞金額10万ドルに対して、2千ドルを獲得しただけだった。


というのが、今日の朝日新聞に出ていた。知性を作る、というその記事は、インターネット上のお喋りソフト、「CAB」を例に挙げ、10分以上相手が機械だと気づかずに会話し続けることもあると書いている。10分たてば、「じつはわたし、機械なの」と相手が素性をばらしてくれる。それまでは、こちらは生身の人間と話していると思い込んでいるということだ。かくして、人間が相手に「こころ」を感じるのは難しくないのだ、と記事は結ばれている。


私も、常々、相手に心を感じるのは簡単なことだと思ってきた。それは、ウラを返せば、無生物に対しても人間と同じように心を感じることができることこそが、人間の特技だということだ。相手が機械かどうかを見破れる力よりも、相手が人間じゃなくても、犬でも猫でも椅子でも時計でも機械でも石でも、なんであろうとそこに「生き物のこころ」を創り出せることが人間らしさ、なのじゃないだろうか。


10分話しても、機械だとばれない機械、と言うのがある。その一方では、10分話しても、この人は本当に人間なのかしら?と思う人間もいるかもしれない。それでも、相手が人間だと思えば、人間をそこに投影する力があるのだ。山を神と崇め、天気を自然の「意思」と受け止める。その相手に対する想像力は、もっとも「ヒューマニズム」に近い気がしてならない。そして、世界の荒廃は、その他者への想像力の欠如から生まれるのだ。
(ついでに言うと、目下騒ぎになっている、日本の高校生の「読解力の低下」も同じところに根が在る気がする)


チューリングさん、次はチューリングテストIIっていうのを導入するべきなんじゃないでしょうか?