のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

川口に帰って新年会にでました

そして、ボランティアでやっているNPO活動のミーティングに参加。
久しぶりに沢山の人と話して、今夜は眠れいかも。


話しなれない人と沢山話した日の夜には、ベッドに入ったあとも、人々との会話が頭の中をぐるぐる旋回して、眠れないことがよくある。気が高ぶっている、というのはこういうのを言うんだろう。頭の中では、ずっと人々が話しているような気がするし、自分もしょうもないことを話している幹事がしつづけるのだ。
以前、エニアグラムをやっているというカウンセリング講座の講師にそんな話しをしたら、「そういうのもエニアグラムのあるタイプの典型なんですよ」と嬉しそうに言われた。
ひとつのタイプ、といわれてもなー。
というのが正直な感想だ。
それは、どういうタイプの人なんですか?!と突っ込みたかったが、そのとき4人もいたグループの話題は、浅瀬を流れる急流のごとく、あっというまに別のことへと移っていった。


他人の性格をカテゴライズするというのには、そこはかとない魅力があるかもしれない。あなたは、こういうタイプね、と語るときの占い師の誇らしげなこと。
その(少し)上からモノをみるような語り口が、私はあまりすきではない。
にもかかわらず、性格や運勢や能力を知らされたい、という欲求があるのも事実だ。
なんでじゃろね?
あなたに私のことなんか分かりっこないわ!と言い放つ一方で、人々が自分をどう見ているかを知りたくてたまらない。
私たちが求めているのは、自分の標準化。
種種雑多な人々にスコアをつけて、スキャッタグラフにひとりひとりの点を打ったグラフの中で、自分の点がどこにあるかを見てみたいのだろうか?
下の方にあれば、自分の無能さの言い訳が見つかり、上のほうにあれば威張る理由を手にできるから?


今日のミーティングには、占い師が一人参加していた。
私にとってオドロキだったのは、彼女の言葉を誰もが素直に受け止めていたこと。同じ年の生まれだと、ラッキーカラーが全て一緒、でもとくに不満は無いらしい。そこに性格的な意味があるとしても、同じ学年だからといってみんながすごく違うこととの矛盾を追及する気は全く無いのだ。
それとも、そうやって「そうなんだぁ」と聞いて和やかな会話を続ける姿勢が、いわゆる大人の社交性というものなのかしら?
みんな、心のそこから真に受けているのか、適当に受け流しているだけなのか?
そんなことにこだわる私は、やっぱりまだ青いんでしょうか。
そんなことを考えた「新年会」でした。