のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

レイキのセカンドアチューンメントに行った

そして再び、レベルアップを図ったわけですが、その後、3人でご飯を食べた。そのときに、色んな面白い話を聞けて楽しかったです。


講義の中で、暗示には強力な力がある、という話を聞き、私はある人のことを思い出していた。ご飯を食べているときに、再びその暗示の話題が出て、私はその思い出された人の話をはじめた。


相手によって、とくに暗示にかかりやすい人っていますよね、と私は切り出した。つまり、その人に言われたことが本当になってしまう、という意味で、特定の人の言葉が自分にとって不思議な重みというか、暗示力があるってことなんですけど、と。
そこであげた具体例は、あまりぴんとこなかったらしいが、それでも私が言いたかったことは伝わった。私は、その人が何の意図も無く口にしたことが現実になるのは、その人自身が、わたしにとって特別な人だから、だと思い込んでいた。
なので、その人には軽々しくモノを言わないで欲しい、と思うくらいだったと言った。


ところが、ティーチャーの返事は意外なものだった。それは暗示じゃなくて、どっちにしろ現実になることだったんだよ、と。
私は一瞬意味が分からなかった。
ティーチャーが言ったのは、もともと私はそうなるはずだったのを、相手のほうが無意識に読み取って口にした、という意味だった。
個人専門チャネラーみたいに。
ときどきそういう風に周波数があう人がいるんだよ。だから、嫌がらないで、もっと言ってもらったほうがお得だよ、無料チャネラーなんだから。
そう言われて、わたしの心の中で頬を染めた。


なぜならば、その人は私が昔、大好きだった人なのだ。
何度か、同じような偶然が重なったことがある。私が自分で買ってちらちら読んでいたその同じ本を、彼から「この本良いよ」と薦められたこともあった(同じときに同じ本を読んでいたのだ)。その頃はそんなエピソードを数え上げ、後生大事に抱えていたけれど、今はもうほとんど思い出せない。


でもとにかく、ティーチャーが言ったように彼が私の情報を無意識に読み取って口にしたという説には、納得できた。であればこそ、私は彼の発言にあれほど動揺し、振り回され、衝撃を受け、そして、のめりこんでしまった、のかもしれないとすら思った。


そして同時に、彼にとって私がそんなに分かりやすかったのかと思うと、とても恥ずかしい。どんなに気持ちを隠しても、いや、隠せば隠したいという気持ちごと、彼に伝わっていたのかもしれないのだから。


今、彼はどこにいるのだろう。
ティーチャーに、もっと言ってもらったほうがいいよ、と言われて、でもその人とは、もう会うことも無いんです、と答えた。
当時、私は「この人と分かり合える」という直感を感じ、激しい胸騒ぎに興奮していた。何の根拠も無いその思い込みが正しかったのかもしれないという指摘は、今でも嬉しいことではあるけれど。
居場所すら今は分からない。


ティーチャーは、また会うかもしれないよ、と言った。
会わないかもしれないけど、とも言った。
長いこと、また会えるか会えないかを、自分の感じ方で占おうとしてきて、でもその試みは外れどおしだった。そして今日、帰りの電車の中で、自分がどう感じているかを解釈しても意味はないということに思い至った。


なすがままに。
会える人なら、会えるし、会えない人なら会えない。
つまりはそれだけのことなのだ。
大事なことは、私はすでにその人と会っているということだ。過去も未来もここもあそこもつながっている4次元の世界では、会ったという事実は色あせること無く、常に新しい状態でそこにあり続けるのだから。
未来、というちいさなregionに彼が存在するかどうかを気にかける必要なんてどうしてあるだろう。それじゃまるで、二人同じ部屋にいるのに、彼に背を向けて彼が見えないと言っているようなものだ。過去という方向を向けば彼は見える。現在という方向を向けば彼は見えない。少なくとも今、私が現在だと思っている方向には。
そんなふうに、今は思える。