のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

言葉の次元

12日に書いたことにしてますが、13日です今日は。

私がハイアーセルフと繋がったかどうかはさておき、この次元の構造は他にも色んなところに敷衍できることがわかった。
まずは「音楽」。

ラジオを聴いていたら、今から20年ぐらい前の古い曲である山下達郎の「風のコリドー」が最近CMに使われているとのことで、今でも変わらない煌きのある曲を聴いていて思いついたのだ。
音楽は、次元が高い。
多層的な音楽ほどきっと次元は高い。
一音がもしも紙面上の1点であるなら、単旋律はきっと線で1次元に昇格したものだ。そして、伴奏が入り、複雑なアレンジが曲を広げていけば、それは2次元へと拡張され、さらに心を揺さぶる多層的な厚みがあるものは、高さを持った3次元へと発展する。

言葉も然り。一つの音韻は、点だ。ピッチや音韻があるけれど意味ある形になるには、単語としての連なりが必要でそこで初めて1次元が生まれる。単語が長く繋がっていけば、物語のタペストリーが折り綴られ、一枚の絵と同じように2次元になる。そしてそこに現われる事件に深い意味性が生まれ、人々の感情に細やかな陰影がつけば、そこにはどんどん3次元に近い世界が生まれていく。

物語には力がある、というのはそういうことなんだと思う。単語ではなく、言葉でもない、物語なんだよ、というのは。

一つの単語に振り回されるのならば、それは、1次元のレベルのことに振り回されていることになる。一つの文章、誰かの言った評価が私を傷つけるとしたら、それは限りなく1次元に近い2次元の力に対抗できずにいるのだ。
そして、彼の生き様に勇気づけられるのは、彼の陰影のある物語という2.7次元ぐらいの事象だからそこからは大きなエネルギーを汲み取れるのだ。

レイキのティーチャーは、より低い次元を構成するものでその高次の次元はできているということを教えてくれた。
ピラミッド構造は、底石の保持を基盤に上層が成り立っている。ピラミッドのてっぺんがてっぺんでいられるのは、一番下の石があるからだ。
長大なオーケストラの楽曲が魂を揺さぶる音楽たりえるのは、一つ一つの音があるから。ドストエフスキーの長大な小説もすべて一つ一つの言葉から成り立っている。

私は、自分があまりに「出来た人」になると、回りと歩調が合わないかもしれなくなるかもしれないなどと、不安になったりしたときもあるけれど、そう思えば安心できるし、些細なことを軽んじることもない。

物語を扁平な2次元より高みへ引き上げているのは、一つ一つの文字が集まることで構成される精神的な深みだ。
こうかくと、あまりに当たり前に聞こえるかもしれないけれど、世界の構造をまた一つクリアに見た気がして、そして私の目指す世界もはっきり見えて、とても嬉しい。