おやま。これまた、こむずかしそうな漢字を並べてしまいましたか。
最近、よその日記を読むようになってふと気づいたことがある。それは、いわゆる男性と女性の日記の語り口の差だ。
まぁ、個人個人で語り方は千差万別なので、いまさら、男性女性の違いを語っても仕方ないと思うけど。でも、あるのよね。そう思うとつい書きたくなってしまう。
私が、明確に男性のものの言い方と女性のものの言い方の差を認識したのは、割とつい最近、鴻上さんのエッセイを通して、だ。
あ、どの本かって言うとこれよ、これ。
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えっとー、語られているのは、鴻上サンの書いた恋愛王というエッセイと、柴門ふみさんが書いた恋愛論という恋愛指南書(だっけ?)の対比に関連して。
鴻上さんは、昔昔に出版された(そしてとっても売れた)柴門さんの本を読み、なんだ、同じことが書かれてるじゃん、と思ったそうだ。
ただ、語り口が違う。
鴻上さんは「愛されたいのなら、〜しなければならない」ととき、
柴門さんは「〜すれば、愛されるのよ」と書く。
要は、なんとなく男性は高みから演説するように書き、女性はわきの下をくすぐるように書くって言えばいいでしょうか。
で、何をいいたいかというと、私の日記はどことなく男性っぽいな、と思って。
余談ですが、昔、とある研究計画のドラフトを上司に見せたときに、
「おまえさんの書く文章は男っぽい」といわれたことが今も尾を引いている・・・。
「え”!で、でも、その気になれば、ものすごく柔和でライトでポップな文章が書けるですよ!」と反論したが、信用された気配はない。。。
で、それをスピリチュアル的見地から言うと、
私はより多く男性に生まれてきた前世を持つのじゃないかしら?と思う。
さらに言うと、でもこういう男性・女性原理は、現代の、より若い年代ではどんどん不明確になっている気もする。
そして、中性化は魂の成長の結果じゃないかと、私は思っているのです。