これです、これ。
この本の、第6章 基礎定数は変化する?!で、
彼は、ビッグバン仮説により、宇宙とは熱力学的な死に向かって漸次消耗してゆく機械のようなものではなく、成長し、発展し、進化するものであるという理論的大革新が起きたと指摘したあと、こう書いている。
「そして、ここに新しい疑問が付け加わる。もし自然が進化するのなら、自然の法則も進化するのではないか?なぜなら、法則は進化する自然の中に内在しているからだ」
思考は現実化する、という最近流行の世界観に、この指摘は矛盾しない。
人間が、どんどん科学を発展させ、分子の中のクォークの存在を突き詰めていくのなら、それに応じた詳細なメカニズムを自然は提示し、
また、より自分たちに必要な科学技術の革新的発明を求め続けてるのなら、人間たちの期待通りの成果が差し出されるだろう、といういう気がする。
そして、その時まで私たちがそれを手に入れられなかったのは、単に無知だったからなのか、自然がその姿を徐々に変えたおかげなのか、私たちに知る術はない。
永遠普遍の神話を今も身にまとうプランク定数が、新たなる測定でその値を多少変化したとしても、昔の値と現代の値の相違が測器技術の差異によるのかどうかは、誰にもわからない。
たぶん、たとえ過去行われたのと全く同じ測器を用いて測定をやり直したとしても、正確に同じ値を出すことは難しいだろうから。
かくして、もしも人間が魂の存在を信じ、スピリチュアルなエネルギーの力をも信じるようになったなら、遅ればせながらその物理量を測定する技術も、「科学的に信憑性のある」説明つきで、提示されるに違いない。
そう言い切る根拠は無いんだけどね。
現実と夢想が
自然と人工の双方に内在する世界で
対比と融合の境界線を凌駕していく。