のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

レイキサードディグリー

これは秘密ですが(じゃぁ、書くなよ、といわれそうだけど)、レイキのサードのアチューンメントを受けてきました。
なぜ秘密かというと、私はすでにサードは受講済みだからです。
(えへ)

ハイアーセルフとつながった自覚がありません!と訴えたら、話の流れで紹介された別のティーチャーさんに紹介されて、のことでした。

そして、私はハイアーセルフとつながったのか?
というと、まぁ、つながりましたね。
ハイ。疑問の余地はありません。
まぁ、全然無いとは言いません。世の中には、疑問を持つ人もいて、私はそういう人々の意見や気持ちを汲む才能があるので、それを汲んだ私は疑問を自分の中に内蔵することができるのです。なので、そこには疑問の余地があります。
こう書くと、すごく分かりにくいかもしれないけれど、・・・・あらゆる存在の思考は潜在意識の下でつながっているということなんだと思います。

えっとー、ユングさんが個々の矛盾する思考を指していったのか、それとも共有する同じ意識を指していったのか、よく知らないのですが、まぁいずれにしろ、シュタイナーさんによれば、顕在意識での思考ですら伝わっているらしいです。
そしてそれをキャッチする私のやり方は、(今のところ)自分のものとして感じることのような気がするので、「疑問の余地」はあるといってしまうのかもしれません。

自分の思考と他人の思考が混乱するというのは、あまり薦められることではないかもしれません。私は、意識して自己と他者を区別する方法を学ぶ必要が(まだ)あるのかもしれません。


自己と他者を区別するのは、多分、現実的な他者との交わりによって得られます。
現実にある体のおかげで、良くも悪くも他者との明確な境界が保持されます。
けれど、部屋の中でたった一人でいるとき、体が持つ境界の意味はあいまいになり、読む本や、テレビやネットの世界に、どんどん意識の触手は伸びていきます。張り巡らされたその触手の網は、他者の思考や経験をも同じ自己のものとして取り込んでいきます。
再び、現実の自己に立ち返ったとき、無差別に取り込んだ様々な情報は互いにぶつかり合い、自己の境界内部での矛盾に発展します。その矛盾は、自己を鍛え上げもしますが、自己不信の種に変わることもあるでしょう。
なので、自分のホームページのデザインを考えようなどとして、色んなページを参考に見てはいけません。
そのせいで、自己の自信と方向性が失われてしまうのです(私の場合)。

すっかり話が横道にそれましたが、私のハイアーセルフは、どうやら男っぽいらしいです。
予想通り。
あなたのせいね、私がこんなに粗雑なのは。
と、言いたいところですが、大体ハイアーセルフは「自己」なので、あなたのせいも何もありません。
ま、やっぱりそうか、ということで。

でも、ハイアーセルフと繋がることができてよかったなぁと思うことは、私のなかには、美しく優雅で良きものが存在すると強く認識できたことです。
そして、誰もがそういう存在を内に抱えていると思うと、世界がまるで違ったものに見えてくるようです。
わたしにあるハイアーセルフが他の人にないとは、到底思えませんから。
あー、ということを文章にしたら、ハートがドキドキしてきてしまいました。
これからみんなが物凄く生き生きした人間に見えちゃうかもです。


昨日はこんな経験をした一日でした。ただし、これらの多くのことを自分自身に存分にしみこませ、オリジナルな自己の素養とするには、それなりに時間がかかるのでしょう。
答えを半分まで聞いて「わかったぁ!」と叫ぶ悪い癖がある私には、なおのこと。
時間がもたらす醸成は、じつに大事なのでした。