のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

確信に満ちた態度がもたらすもの

(初めに断っておくけれど、今日の日記は長いです。
昨日、性格に合わない正論を自分に無理強いした反動かもしれません。)

今日は、セルフサービスのガソリンスタンドで給油をした。私はセルフサービスのガソリンスタンドが比較的好きだ。これはきっと、セルフサービスを使い始めたのがアメリカでだったという原体験に由来しているに違いない。初めてアメリカに住み始めた頃、日々の会話はすべからく、緊張と恐怖の連続だった。その点、セルフ方式ならば店員のぶっきらぼうな早口英語に全神経を傾ける必要はない。クレジットカードをスライドするだけの簡単な支払い方式を選び、誰もいないガソリンスタンドでそよ風に吹かれながら自由気ままに給油するというのは、ドライブ中の気分転換といってもよいぐらいだった。

 そんなわけで、今日私が始めて入ったガソリンスタンドがセルフ方式だったのを発見したとき、私は歓迎する気持ちのほうが大きかった。挿入した自分のクレジットカードが「このカードは使えません」という、一方的な冷たい仕打ちにあって、仕方無しになけなしの2千円を挿入した時点でも(現金の持ち合わせが無かった)、とくに気分を害することも無かった。

 これがセルフじゃない場合、勢い込んでドアを開ける店員さんの眼を見ながら
「レギュラー10リットルで」
と言いつつ、お金が無いのごめんなさい、と心の中で言い訳をしたうえ、そのあと約30秒間は心の中に渦巻く引け目に苛まれることになる。けれどセルフの給油であれば、私がどんなに妄想たくましくしても、自分の経済状態を機械に詮索される心配はなく、給油装置はあくまでクールに「as much as you like」と言うだけだ。

 しかし、給油が終わって、セルフサービスのガソリンスタンドにおける私のもうひとつの楽しみである車掃除をしようとしたとき、ほんの少し、心に暗い影がよぎるのを感じた。

 お掃除グッズが見当たらない。

 しかも、ゴミ箱も設置されていない。それどころか、ここはゴミ箱は設置していません、お持ち帰りください、と書かれている。いくつも立派なゴミ箱を並べておいた横に、ごみの持ち込みはご遠慮ください、と書かれている高速道路のサービスエリアよりも、厳然としたそっけなさである。それでも、乾いた一枚のタオルを発見した私は、しつこく掃除グッズを目で探し続けた。給油のノズル周辺に眼をさまよわせてから、事務所のあるらしき方にまで探索の範囲を広げると、そこには係りの人らしき青年が一人立っていた。
 私は目で訴えた。彼は、俊敏に私の視線に眼を留め、こちらへやってきた。
「あのう、ワイパーの掃除道具はないでしょうか」
私は、セルフのスタンドによく常設してある水切りワイパーの姿を思い浮かべながら聞いた。
「ワイパーの掃除用具ですか?」
心持不安げに青年は聞き返す。
「はい。掃除するときの、ワイパーの掃除の道具です」
きっぱりと言う私は、頭の中でさらに鮮明な水切りワイパーのイメージを作り上げた。ほとんど、私の言葉による伝達の可否は、頭の中のイメージの具体性と鮮明さにかかっている、と錯覚していたんじゃないかと思うほど。不安げな表情の青年に向けて、気持ち的には、ほれ、これよこれ、と頭の中の水きりワイパーを指差していた。
だがしかし、彼は言った。
「すみません、そういうのはここは置いてないんです」
彼の自信なさげな表情は、ほんのかすかに突き放した冷徹さが見え隠れする営業スマイルに変わっていた。そうですか、と言いながら引き下がったとき、私はまだ自分の正当性を疑っていなかった。このスタンドは、ゴミ箱もないくらいなんだから、まともな掃除グッズだっておいてないよね、ぐらいに思っていたのだった。
けれど、車に乗り込んで冷静になると、すぐ、自分の過ちに気づいた。

 私、さっきなんて言った?

 ワイパーの掃除道具?
・・・なんやのそれ。

 自分で言っておいて、訳分からない。きっとあの、整った顔立ちの(だったのだ)彼は、心の底で、こいつは何言ってるんだろう?と思ったに違いない。だって、ワイパーの掃除って何よ?ワイパーブレードのメンテナンスグッズのことか?(そんなのあるのか?)
いずれにしろ後から思い返すと、私の自信たっぷりな態度に反して、説明の方はあまりにも支離滅裂だったらしい。多分、掃除グッズがないのには変わりなかったと思うけれど、意味不明な言葉を吐きながらも自信たっぷりの私の態度と、これといって非がないながらも自信なさげなハンサム青年の態度は、奇妙な対称性をなしていた。

 こんなとき、よく思うことなんだけど、自信たっぷりな態度は、もしかしたら得られたかもしれないプラスαの助力を自ら遠ざける原因になるかもしれない。たとえば、私がもっとしどろもどろに、水きりワイパーの形を説明しようとしたら、彼の対応は違っていただろう。車についての知識は愚か、語彙についても足りなさそうな可哀想な女性に対して、せめてその言わんとするとこだけでも汲み取ろうと、もう少し突っ込んだ質問をしてきたかもしれない。ところが、私が大変きっぱり堂々としていたために(しかも言っていることが意味不明だったために)、彼はそこからあっさりと手を引くことにしたのだ。
日本には、長いものには巻かれろ、という諺がある。これは、実社会においては、偉そうなやつには逆らうな、という事なかれ主義的世渡りテクニックとして多くの場面で実用化されているように思う。別の視点から見ると、自信たっぷりな態度は無条件に他者の干渉をブロックする、ということでもある。てことは、本人にふさわしいだけの思想や知識や品格が備わっていればいいけど、そうじゃない場合は、自らの向上のチャンスを捨てる羽目になりかねない。常に判断ばかりしているものは、他者から学ぶ姿勢がないのであるから、成長の見込みも無くなるってものだ。
と書くと、すごく大上段に聞こえるけれど、私のちっぽけな自信たっぷり加減ですら、こういうことが起きる。これは相手がどういうスタンスにいる人か、自分と相手との相対的なありかたで決まってくる。場合によっては、とても微妙な相手のしぐさや表情からも起こりうる反応は予期できる。そういう合図を敏感に察知して自己の態度の調節ができないと、相手は、あっという間にフタを閉ざすサザエのように、頑なに身のうちに引きこもる。
 たとえば、威圧的な客と、腰の低い店員。
 権力風を吹かせる上司と、袋小路に追い込まれていく部下。
 ろくに問診もしないで決め付ける医者と、疑心暗鬼の中でしぶしぶ従属を選ぶ患者。
 自信があればよい、というものでもないよね。
今日は、そういう教訓を得たというお話でした。