のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

飲み会疲れ

今日は、EFTセミナーでの飲み会だった。
飲み会は、いろんな人に知り合えるし、様々な興味深い話が聞けるし、とりあえず、自分を知ってもらうこともできて、さまざまな情報の交換が行われる素敵な場所だ。

とはいえ、実は私は飲み会というのはすごく疲れる。

文章からも分かるように私はとっても繊細なので(分かるスか?)、沢山の人がいると、やはりそれなりに気を遣い、とっても疲れる。
テレビでさえ、一生懸命見て疲れてしまう人なので、生の人間が、それぞれ力強く喋っているのにずっと付き合い続けると、結構、疲労が蓄積する。しかも、帰ってきてからも、その人々の雰囲気は頭の中でぐるぐる回り続ける。

(そいえば、余談ですが、最近引越し屋が見積もりに来て、帰って行った後、その人の座っていた椅子に座るのが怖かった。なんか、その人の思念が強く残ってそうで。。。といっても何かを感じたわけじゃないだけどね)

で、大体いつも、この人々がいろいろ喋っている状態は、一人で帰りの電車に乗っているときも、家までの夜道を歩いているときも、さらには布団に入ってまでも、頭の中でずっとこだまのように響き続ける。
交感神経が興奮しっぱなし、という感じで、それがほぼ朝方まで続くのだ。

そのため、帰りの夜道でも、興奮した神経をなだめようと、意識して深呼吸なぞしながら歩いていた。

そしたら、闇の中で薄明かりのように浮かび上がる桃色の枝垂桜が眼に入った。

桜の根元に立ち、枝越しに暗い夜空を見上げる。
引き寄せられるがまま、やわらかい花の房に手を伸ばす。
家に一緒に連れ帰りたくて、八重咲きの花をひとつ掴みかけたところで、やめて、と心で声がした。
ああ、そうだよね、そりゃいやだよね。
思い直した後は、ただそっと手で花を包み込んだ。
そこにある静かな息吹を手に取るように、じっと花を包み込んで、立ち尽くしていた。
時折、道路を行過ぎる車のヘッドライトに自分の姿が照らし出される。その気詰まりに耐えられる間はずっと、たわわに咲くピンクの花々と握手していた。

木も、草も、呼吸をしている。
動物よりもずっとずっと静かな呼吸は、昼も夜も変わらず続けられている。
本当は、結構ダイナミックにその呼吸は変動しているのだけれど、何時でも限りなく静かにみえる。
植物にとって、酸素は吸い込むものではなく、音もなく染み込んでいくものだから。
水の中に落とした絵の具がゆっくりと広がっていくのと同じように、酸素は植物の細胞につぎつぎと染みとおっていくのだ。
そしてそこに「意思」はない。

手の中の花びらは、夜露と同じ冷たさで、私の火照った気持ちを冷ましていった。