のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

受け入れることは、それをギフトだと知ること

突如、別の議題(ぎだい?)で失礼します(でも、上記のテーマにもつながる。きっと両方がひとつの長い文章に収まる)。
でもいま、思いついたことだけ忘れないよう、就寝予定時間(12時)過ぎて、ちょっとメモ書き。

たった今、思いついたこと、それは、受け入れる、というのはそれをギフトだと思うこと。


EFTでテーマとするネガティブポイントは、本当にネガティブなのか、それは何かに使えるんじゃないか、と疑問をずっと持っていた私ですが、今日、わかりました。
EFTでセットアップフレーズを作るとき、一番の基本形では「***の問題があるけれど、私は自分を完全に深く受け入れます」という風に言います。
これは、自分でネガティブだと思っているものを自分に与えられたギフトだと気づく、ことにつながる、という意味だと思ったのです。
意識では、それがギフトだと思うことができなくても、多分体には通じます。だから、そんな高度な意味を理解できなくてもEFTの効果はでます(セットアップフレーズ無しでもよいっちゅうはなしもありますが)。
受け入れる、といってもらえれば、それできっとああ分かってくれたと体は思うのだと思います。

たとえばアレルギーが、自分の身を防護する体の反応のひとつであるように。
無気力が、自分をこれ以上傷つかせないように守る手段であったように。
いま、自分を困らせている問題は、もともと自分に必要不可欠な、持って生まれた大事な能力(それを英語ではgift=贈り物と表現します)がもたらした結果だったと知ること、そして改めてギフトを受け取り直すこと、それが、受け入れる、なんだなぁと。

なので、ギフト、なのですね。

すると、ネガティブポイントとは、大事なギフトのある側面を差して「問題だ」と言っているだけなので、取り除く、あるいは、たたき出す、という表現はあまり似つかわしくないかもしれない。
やっぱり、それは受け入れるが正解なのだ、と思うと、
ゲーリー、えらいわあなた。
(と、私に言われるのも何かとは思いますが。)


余談ですが、贈り物といえば、思い出されるのはレベッカ・ブラウン
体の贈り物
エイズの末期を迎えた人々を描いた、とても美しい話です。
(ほんとに余談だ)