のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

閉鎖性とコミットメント

閉鎖性というのは、あれですね、絶対にどこに行こうとついて回るんですね。
そのことが分かりました。
どんなにオープンなシステムの中にいようと、自分と他人との価値観の相違に、そのまま頷けない限り、(そして、そのままあらゆる場面でそのまま頷ける人なんてありえないぐらいに難しいことだから)、感情の中に必ず排他性はついて回る。


どんなに、閉鎖性を回避しようとしても。
自分の中に、しつこくそれはありつづけて、だからこそ、表面的な排他性に危機感を感じるのかもしれません。


河合卓雄と村上春樹の対談集に書かれていた、過去、村上さんがコミットメントを避けてきた理由のひとつに重なる事態がここにある、というのは、わたしの勝手な思い込みかもしれませんが。


とにかく、自分の中の排他性を拒絶しているようでは、
まだまだやのう、と思いながら、
自分の排他性を認める、ということと、
自分の排他性に身をゆだねる、ということはとても似ていて、
自分に(他者に)、排他的でありつづけることを許すことが、
排他性を消去するために必要、なんて話は、なかなか逆説的に聞こえたりする。