のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

「分からない」のはストレスだ

一生懸命英語のリスニングをしていて気づいたことなのだが、
聞けない状態のときは、不必要に想像力を働かせてしまう。
特に、焦っていたり緊張していたり、余裕がないほどに、理解せねば!という強い
気持ちが働く。
働きはするのだが、その気持ちが強ければ強いほど、なぜか力は内向きに
凝縮し、外界に開かれた感覚器は、きゅ〜〜っと小さく縮んでいく。


かくして、外からやってくる音は聞こえなくなる。
内側の自己の妄想が膨らんでいく。
でも、本人の解釈したい!という気持ちは変わらないので、
断片的に耳に入る言葉だけを必死につなぎ合わせ、
自分の力量に激しく制限された内なる妄想を作り上げる。
その結果、とんでもない訳が生まれて、さらに混沌は深くなる。


というわけで、人間はよく分からないものほど、強く理解したいと思い、
そう思うほど、理解ではなく、勝手な解釈を作り上げるという構図がここにある。


よく思うのだけれど、お教室でお勉強が分からない子供たちにとって、
分からない、ということ自体がさぞかしストレスだろうと思う。
彼らは、そのストレスから逃れるために、実にさまざまなことをしたり、
考えたり、見つけ出したりするけれども、
もともと、分かりたいけれど分からないことからそれは始まっているのだ。


彼の気持ちが分からない。
子供の気持ちが分からない。
わんこの気持ちもわからない。


世の中に、分からないことは沢山あるけれど、
分かろうと思うときに必要なのは、
考えることではなく、耳を澄ますことなのだと、
本来の目的(英語のリスニングの上達)とは関係ないことを、再認識したのであった。