のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

今、読んでいる本は、戦争における「人殺し」の心理学

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)です。

通常、人間には強烈な「殺人」への抵抗感が存在します。にもかかわらず、戦争は人類史上、やむことなく繰り返され続けています。この本は、公的かつ不可避な状況下で人間が直面する「殺人」にまつわる戦慄の心理を探求した本です。


普通の人ならばタイトルを見ただけでも引きそうなものです。(だって、「人殺し」の字が大きすぎる)実際、私は通勤電車で表紙を隠しながら読んでいるし、その内容は物騒なタイトルに負けず劣らずの強烈さです。カーッと太陽が照りつける中、お盆直前の灼熱の夏休み気分全快で興奮しているお子様や日焼けしたおねえさん、おにいさんに混じって、私は今日も、この暗く不幸な人間の側面の叙述と分析に深く没頭していました。


一体何を好き好んで、読んでいるだけでも身体感覚が麻痺しそうなこんな本を私は読んでいるのか。われながら変わり者だと思いながら、このうちなる衝動の理由を、本のはじめのほうに見つけました。
ローマ皇帝マルクス・アウレリアスの1500年前の言葉です。
「この宇宙を動かすものの繁栄と成功、それどころかその存続さえも、一人一人の人間の存在に依存している。すべてが連鎖をなして切れ目なくつながっている。因果の連鎖だろうと、他の要素の連鎖だろうと、そのほんの一部でも傷つけることは全体を傷つけることなのである。」
また、あるベトナム帰還兵は言います。「自分たちが殺した若いベトナム人は、この存続というより大きな戦争では同士なのだと感じるようになった。顔のない「世間」との戦争では、あの若者たちと時運たちは生涯通じて仲間なのだと」
そして私自身、多分、同じことを無意識のうちに感じるのです。
だから、今、自分はこんなに平和で満ち足りて恵まれた生活にどっぷり漬かっているのに、はるか遠く隔たっているはずの「戦争」や「殺人」の真相について理解したいというささやかだけれど無視できない衝動が生まれるのです。
 その真相をほんの少しでも知り、渦中に居た人々を理解できなければ、私は自分が属する世界で繰り広げられる物騒で非道な残酷さを受け入れられないまま、自分と同種である人間を恥じ、そしてそこに属する自分を恥じることになるでしょう。


 今も世界のどこかで、恐怖に見開かれた両眼から眼をそむけたい強い衝動と戦いながら、引き金にかけた指に力を込める誰かがいる。その誰かの恐怖と後悔は、確かに私につながっている。どんなにきっちり重い扉を閉じたとしても、彼の叫び声はドアの隙間を縫って響いてくる。もしかしたら、閉じたドアごしに聞こえる声がかすかであればあるほど、それは気付かないうちに耳の奥でこだまのように鳴り響き続けるかもしれない。


 とはいえ、私がこの本を読むのは、とても個人的な理由です。上で言ったことと相反するように聞こえるかもしれませんが、私が生まれてこの方ずっと断ち切れずに居る疲労感は、もしかしたらそこから来るかもしれないと、ほんの少し感じているからです。自分自身の生活が十分に恵まれたものであって、周りには感謝すべき人々があふれかえっていてすら、この疲労感と罪悪感と自己破壊のささやかな衝動を消せずに居るのは、だからかもしれないと、思うのです。


 この本には、人間が本能的に持っている他者を殺すことへの激しい抵抗感について書かれています。他者を殺さなければならない恐怖は、自分が殺される恐怖をすら上回る強烈さで襲い掛かります。戦争における殺人の歴史は、その抵抗感との戦いの歴史でもあり、近代になって、その抵抗感を克服する効果的な訓練法が生まれたこと、また近代兵器は職務を全うするときの、その抵抗感から開放されるのにとても役立つことも書かれています(遠くから爆弾を落とすのに、罪悪感は生まれにくいということです)。
 以前、半藤一利の名著「ノモンハンの夏」を読んだときに、ノモンハンでの日本軍の死傷者は、一般的な戦場での死傷率をはるかに越える30%だった、という著述を目にしました。私はそのときに、意外な数字の低さに驚いたわけですが、この本に書かれている個人が個人を殺すことへの抵抗感がどれほど戦場における殺傷率を低下させるかというくだりを読むにつけ、その殺傷率の「高さ」に納得しました。


 軍事学の教科書として使われているこの本は、けれども、いかに殺人を非情に効率的にこなせるようになれるかだけを説いているわけではありません。それだけ強烈な殺人への抵抗感を持つ人間に「条件付けの訓練」がなされうるその危険性を明確にするとともに、そこで働くべき「安全装置」がどんなもので、それを持たない者たちの「暴走」についても書かれています。

 戦闘状態が長く続くと、兵士の98%の人間は精神的に失調をきたし、残り2%の人間はもともと攻撃的精神病質人格を持つといわれています。しかも、ここで言われている兵士とは、あらかじめ「精神的戦争忌避者」が除かれたあとの人々のことです。(だから、2%という数字は、全人口の、にはあたらないということですが)つまり、人間のほとんどは、殺人を本能的に忌避する性質を持っているということです。
 じゃぁなぜ人類史上戦争が置き続けているか、というのはまた、別の本で語られるべき内容であり、当然の成り行きとして私は他の書籍で学ぶことになる予定ではいます。


 この本を読んでいると、ものすごく沢山のことが学べて、多くの洞察が生まれます。と同時に、いくつかの「引っかかる」点もあります。最大の「ひっかかる」点は、この本が米国で陸軍士官学校等の軍事学の教科書になっているという点です。
 でもとにかく、この本が究極の人間心理について精緻にかつ深い洞察を持って書かれた卓越した一冊であることは間違いありません。
 次回は、内容についてもう少し細かいことを話を書こうと思います。