のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

無防備とラポール?

いきなりですが、胃がいたいのです。
なぜかというと、たぶん、最近毎週のようにたくさんのあまり良く知らない人々と週末をともにしているためだと思われます。


つまりそれは、セミナーなのです。
セミナー参加者は約30人。
私は30人学級の世代ではありませんが、1クラスぐらいの人数が集まって、毎週席替えがあるようなものです。そして、行くたびに違う人のお隣に座ります。


私を知る人の多くが驚くかもしれませんが、私はこう見えても人見知りです。
まぁね、こんな年になってまで人見知りを標榜するのもいかがかとは思いますが。なので、普段はあまり大声では言いませんけど。
だが、胃が痛いのです、このところずっと。
その理由を考えるにつれ、思い当たるのは、毎週、席替えがありながらも毎日あうわけではない人々との中途半端な出会いを繰り返すこのシチュエーション。
クラス替えとか席替えが大嫌いだった過去が、知らず知らずにうずくのでしょうか?
しかも、そこで集中的に語られるのは、ラポールラポールラポール


ラポール(架け橋)とは、簡単に言うと、人と人との信頼関係のことです。
カウンセラーを前にしたクライアントが、ああ、この人にだったら、安心して話せる、と思えるときラポールが構築された、といいます。カウンセラーやセラピーやコーチングなんかにとっての重要課題です。


セミナーでは、すぐにラポールを築く技術、というのを習うのですが、習いながら、私はずっと何か引っかかるものを感じていました。
それが何かを考え続け、ようやく答えを見つけました。
それは、信頼してくれる人を人は信頼する、ということでした。
つまり、
「どーんと俺の胸にとびこんでこいよ!!」
と言われても、その人が腕組みをしてたら飛び込めない、ということです。
どんなににっこり笑っていても、両手を大きく広げてもらわないと、飛び込もうにも飛び込めないのです。
それも、とても無防備に手を広げるのがコツです。
もしも面と向かい合った相手が、光るナイフを持っているかもしれないとか、拳銃を手にしているかもしれないとか私を疑って、防具とか防弾チョッキを身につけている人だったら、(私なんかは)逆にナイフでそのチョッキの硬さを調べたくなっちゃうかもしれません。


てなわけで、
私が痛感するのは、ラポールを築けるかどうかは、自分が相手に対して、いかに無防備に、オープンになれるかにかかっているということでした。
それは、とりもなおさず、他人といるときの自分が、どれだけ揺らぎなく強いままでいられるかということでもあります。


それは、達成するのにそう簡単なことではないようです。
たとえば、「強く」あることを優先して、意識だけでも自分を上位にもってきてしまったら、とたんに二人の間の架け橋は崩れ去ります。
高みから相手を見れば、それは無意識のうちに何らかの防御壁を作ることになり、橋なんかかけようもありません(どうやら、私はときどき、普段の生活でこれをやっちゃうのですが)。


一切何の武器も持たずに素のままでそこにいること。
それはなかなかに難しいことです。


自分がいかに無防備なままいられるか、その強さは私にとって、とくに普段のコミュニケーションでは、大きな課題のようです。