のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

優柔不断な人のための決断力養成講座

最近は、バイトに行くために乗る電車で、いつも乗り込む車両とドアの位置を
決めている。
次の駅で乗換えるとき、その場所からだと下車してすぐに階段があるので、
よいタイミングで乗り換え電車に間に合うことが多いのだ。


だがしかし、階段近くのドアは、ラッシュのピークを過ぎても大混雑が常識。
曜日にもよるのだが、本日火曜日の、いつもの時刻のそのドア前にはやけ
人が多かった。


こんなに沢山乗れるのかしら?


満員電車で通勤した経験もある私にとって極めて馴染み深く、
過去、何千回と抱いた疑問がアタマをよぎる。


でもまぁ、通勤電車に乗り付けると、
「もう、ぜ〜〜〜ったいに乗れません!!!」
と思っても乗れてしまう、あらあら不思議〜、
という体験を何度もしているので、今日もさほど心配はしていなかった。


が、電車がホームに滑り込んできて、窓にいつもより多い人影を認めたとき、私の心には一瞬暗い影がよぎった。


ま、でも大丈夫さね。


楽天的に私は乗車に臨んだ。
しかし、列の最後のほうにいた私は、なかなか進まない人々のもこもこ着膨れたダウンジャケットやらに阻まれ、全く前に進めない。
思えば、私が通勤電車で鳴らしていた(?)時代から、すでにウン年が過ぎ去ろうとしている。
もう、だめなんだろうか?
もう、昔の私はどこにもいないんだろうか?
ただ昔の栄光(?)にすがって生きる、
一人のさびしい過去の人に成り下がってしまったんだろうか?(大げさだって)


次の電車にしようか・・・。
そんな物悲しい思いが心を掠めたとき、
私はすかさず隣のドアに走った。
もう、ベルは鳴っていたけれど、私は決断したのだ。
隣のドアへ!


かくして、無事に電車に乗り込んだ私は、自分の吐息で窓ガラスがどんどん結露するのを間近に見ながら、
これこそまさに、
『状況判断と決断力』が問われる瞬間
ではないかと力強く思うのであった。


体力の衰えは、決断力でカバー。
世の会社のトップが、決断力、決断力と声高にいう理由が分かった気がした。
(ちょっと違うとは思いますが)