のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

誰にでもできるって本当ですか?

NLPの前提には、
「誰かにできることならば、他の人(あなた)にも可能である
“どのように”というのが重要な問題」
というのがある。


ラクティショナーコース受講中、私は、休み時間になるなりこの内容について質問に行った。


「これは、誰でも同じ様に何かをできるということを意味しているんですか?」


私の質問は、たぶん、もっと回りくどくて、意図がはっきりしない言い方だったと思う。
それでも、VOICEの鈴木先生は、ニコニコしながら丁寧に答えてくれた。


えーっと、答えてくれた台詞をあまりよく覚えていないので(すみません、適当な教え子で)その解答はここにかけないが、私の理解で言えば、多分、本来「できない」ことというのがあるのではなく、やり方が悪いだけで、工夫をして別のやり方を試し続ければ、求める結果は手に入る、という意味なのではないかと思う。


で、
NLPは「あなたが欲しいと思う結果は、あなたの工夫しだいで手に入るよ」
と教えている。
それは、やらないうちにあきらめてはいけない、
というメッセージであり、
何度か失敗したからといってあきらめてはいけない、
というメッセージであり、
そして、
あきらめずに、学び続けて、やり通せば、必ず願ったことはできるようになる、
というメッセージだ。


私は、一昨日と昨日と、2時間のセミナーでちょっと一緒にワークをしただけの2名の人と、別々に長い時間会ってお茶をすることになった。
そして、奇しくも二人の口から同じ言葉を聞いた。


「大事なのは、あきらめないことなのよ」


その二人とのお茶飲み話(正確には一つはタヒチアンノニティー飲み話であり、もう一つはメキシカン食事話しだけれど)は、それぞれをたっぷり一日分のブログに書きたい内容で満ち満ちていたけれど、最近の私はあまりに日々めまぐるしく出来事が起き、思うことがあり、次から次へと進んでしまうので、書くのが間に合わないくらいだ。


まぁ、でも、それはそのうち書こうと思う。


ちなみに、目下、私がより深く探っていきたいところは、
「誰にでもできる」、「あきらめない」、というような入れ物的価値観や方法論よりも、
私とは全然違うあの人ができていることをできるようになる、という難しくも時間がかかる問題にチャレンジすることであり、
つまりは、相違を超えて始めて発揮される力を目にすることであり、
今の自分にないものを新たに獲得する可能性の話なのだ。
そしてそれは、
人々はこんなに違うのに、でもどこかで繋がっている、
その繋がっている場所に辿り着いたら、
あるいは
辿り着く過程で、
いかほどの価値あるものが得られるか、
という話だったりする。


えーっと、今日はテーマが一貫してなくて、しかも、まとまりもなくてすみません。
仕方がないので、ここから隠れ日記に飛びます。<続きは、1月16日の日記で>