のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

わがまま

最近なぜか、とーってもわがままを言ってみている。
元来私は、3人兄弟の末っ子とは思えないぐらい聞き分けが良い。
小学校のころから、自分の「聞き分けの良さ」に酔いしれ、そして反抗期もなく、そのまま大人になったのである。


でも、聞き分け悪くしてみると、いろいろと発見がある。
これまで、世間の人々を見て、なんであんな愚かなことをいうのかしら??
となぞに思っていたことが、ああ〜なるほど、こういう気分なのか〜と、
わかることがたくさんある。
それはまるで、セラピストがたまには自分がクライアントになることで初めて実感できるクライアントの気持ちに似ている(ような気がする)。


やはり、
「何事も体験だからね」
と、その昔、とある彼が言った一言は正しい。


と、思い出話はさておき、
わがままを言ってみて、わかったことがいくつか。
そのひとつは、
私が言ったわがままなんて、さほど世界への影響力は大きくない、
ということだ。


こういうと、語弊があるかもしれない。
正確にいうと、こうだ。


わがままを言うよりも、もっと世界への影響力が大きな言葉がある。


私が見つめるものが自分の内面であれ、外面であれ、
「こうしてほしい!」なんぞという個人的な要求は、うちの裏庭に落ちている小石ぐらいの価値しかない気がする。
それを川が堰き止められてできた溜まりに投げ込んでも、ポチャンと音を立て、そのときいくつかの波紋を広げるだけで、そのあとは何もなかったかのように静まり返る。


もし私が欲しているのが、川を滞らせる堰を壊して、大きな力強い流れを取り戻すことにあるのなら、こんなちっぽけな石を投げても意味はない。


野を超え、山超え、谷超えて。
もっと大きな何かを探しに行こう。
私が心から欲しているものを、どんぶらこどんぶらこと運んでくる、大きな流れを作るための何か。

自分のちっぽけなわがままを超えて。
探しに行きましょう。