のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

見つめていたい

ここしばらく、コマネズミのように働く日々が続いてきて、私は今日はちょっと疲れている。(コマネズミのようにって、どういう意味だろう?自分で書いていて何だか謎。大体、コマネズミってどういうねずみか知らないし。)


と、疲れているせいか、ちょっと頭がぼーーっとしている。
ぼーーーっとしながらも、どこかにお出かけしたい。
というところで思いつくのは、動物園。


冬の動物園なんて、もんのすごく寒そうだ。
特に今年は、吹きすさぶ零下な北風に身も心も凍えそうである。
さぞかし、空いている事だろう(ウワサの旭山動物園ならいざしらず)。
そんなガラガラの動物園で、元気なホッキョクグマくんの檻の前でしばしクマウォッチングをしたい。


私はじーーーーーーーーーっと、クマを見る。
クマは、私のことを見ない(たぶん)。
私は、ひたすらじーーーーーっとクマを見る。
檻をうろうろしてみたり、ざぶんと水に入ってみたりする(かもしれない)ホッキョクグマを、そうやってただひたすら観察するのだ。


楽しそうだな♪


ふと、今日気づいたことがある。
私は以前から視覚が弱い弱いと思ってきたが、どうやらそれは、相手を見ることへの大きな心の抵抗があるからかもしれない。
見ると、見られる。
見られると、落ち着かない。
だから、見ない。


あるいは、
見ると相手の何かが見える。
見えると、気になる。
だから、見ない。


えっと、私はこれを自分の個人的な傾向として語っているけれど、日本人に近視が多いのと、ニッポンが島国で人口密度が高いのと無縁ではないかもしれないと思っている。つまりそれは、高密度で生活する社会では、相手のいろんなところが見えすぎてしまうために、見てみないふりの必要性(→そして「見えない」必要性)が高いのかもしれない、ということなのだけれど。


その真偽はどうあれ、ちょっと疲労した私は、冬のガラ空きの動物園で、そんな風に誰の視線も気にしないまま、思う存分動物を見たい。
ホッキョクグマウォッチングとか、
トラウォッチングとか、
パンダウォッチングとか。


びゅーびゅー北風が吹きつける中で、彼らはきっと自由気ままに動き回っていることだろう。
なにしろ寒くて体温が奪い取られるので、なんとなく栄養が足りないかもしれない。
おなかが空いて落ち着かない、とまでは行かなくても、春うららの心地よい季節よりずっと活動的になっている可能性は大だ。
そうしたら私は、活発に動物が歩き回る様を見て歩きたい。
物質的な安穏さから少し外れた、寒風吹きすさぶ場所で。
リアルに生き抜く本能を多めに発揮する動物たちに囲まれて、
しばし一方的に彼らを見つめたい。


何の抵抗も遠慮も気遣いもなく、
見つめるってこういうことなんだと、
思い出すために。