のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

昔の人は偉かった

今日は、実家で私の祖母達の23回忌の法事がありました。
なぜ「祖母達」と複数系なのかの説明は、めんどくさいからさておくとして(←てきとう?)、その法事の食事始まりの最初の挨拶で、父は祖母の話をするにあたって、いきなり、
「母イセは、女所帯ながらも、村八分になり強制執行されるなどのなかを、剛毅に乗り越え・・・」
みたいな話をしました。


え゛!
強制執行ってなに?!


確かに、剛毅な人といえば剛毅だったらしく、裁縫の先生もしていた私の祖母イセは、関東大震災の折ちょ〜ど東京に出かけており、帰る予定になっても一向に姿を見せず、ああこれはもう、イセちゃんはダメだね、阿鼻叫喚の大混乱の中、死んでしまったに違いないと、みんなが涙にくれお葬式をしているところに、
「ただいま〜」
(と言ったかどうかはしらないが)
と帰ってきたという逸話を持つ人。
(このあたりののんきさも私に遺伝?と、いいたいところだが、祖母イセと私に血のつながりがないのが惜しい)


でも強制執行って一体なにが起きたのか!?


父に聞くと、
なんでも父が幼少のころ、すでにイセの夫、○吉(←何故か匿名。理由は聞かないで下さい)は戦地に散り、家にいた大人は、イセとその妹、キミのみ。
それでも農地の持分に応じた米の供出を迫られ(年貢?年貢って言うんですか?)、正直にないと言えば家中を家捜しされ(戦時中、米の供出を嫌がって隠していた家もあったという)、挙句の果ては留置所に入れられ、さらに罰金を科せられた、との話でした。


おぉう!
小さかったとはいえ、私の父がその目で見聞きした時代。
父の目の前で、イセは一家の代表として、血も涙もない役人に足蹴にされながら引っ立てられていったのだ(ちょっと脚色)。
今のような稲作の機械化なんかカケラも進んでいないころ、苗代作りから田植え、刈取りまで全て手作業でやらなければいけないのに、女手二つで(イセとキミの二つね。あ、でも手は実質4本なんだけどね)普通の農家と同じ基準を課せられること自体に無理があったというのに。


そんな時代がかくも身近にあったことに、私はしばし言葉を失った。


お寺の本堂に上がって、一列に並べられた椅子に座ってご本尊のほうを向いたとき、
私は我知らず、涙ぐんでました。
自分の記憶にないぐらいの小さなころ(というのは、小学校に入るまでのころのこと。それまで記憶がほとんどない)、おばあちゃんにべったりのおばあちゃん子だったという私はそれなのに、思い出される祖母達の記憶があまり多くないのです。
でも多分、兄弟の末っ子で、働いている母にあまり構ってもらう時間がなかった私が、幼いころ祖母にどれだけ可愛がってもらったか、守ってもらったかを不思議と肌身で実感していました。


そんな祖母達への思いを馳せながら、法事の行事が全て終わって家に戻ると、仏壇にはスイカがありました。
丸ごとの、直径30cmもある、例の緑と黒のぎざぎざ線のしましまもくっきりとした、スイカの見本のように立派なスイカ


これ切って、と言いながら、父が出してきたスイカを見た私が
「この時期にすいか〜」
と驚くと、父は言った。
「スイカ大王」
・・・・・・・・。
えっと、
もしかして、私の過去の日記を読んでた?


イセ、享年82歳。今まで生きていれば105歳。
キミ、享年81歳。今まで生きていれば103歳。
父、今も元気で73歳。
おばあちゃん、
いまでは3月にスイカが食べられるんだよ。
時の流れって
偉大だよねぇ。