のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

どう行動するかは選べます。ただし・・・

最近、友人を怒らせてしまいました。
しかも、烈火のごとく・・・。


しかし、問題は私に悪気があった訳ではない、ということです。
なぜ、悪気がないことが問題かというと、それで怒られるとは
予想もつかず、したがって、では次は怒られないように、
と思ってやってことが、さらに火に油を注ぐ結果になるという・・・。


この、相手のことがよく分からないために、状況が悪化する、
というのは、現実社会ではよくあることです。
本人は(相手も含めて)それなりに必死なわけですね。
まさに、NLPでいうところの、
誰もが最善を尽くしている、ってやつです。


さて、占星術なんかをやってみると、
なぁんて世の中には色んな(自分とは違った)考え方や気持ちを持つ
ひとがいることだろう、ということがよく分かります。
それはほとんど、皆が特殊、と言いたいぐらいで、それを大きな視点で
眺められるのです。
派手に特殊だったり、地味に特殊だったり、
あるところに突出して特殊だったり、バランスの良さで特殊だったり。
それはそれは本当にいろいろなのです。


そして、私にはそういう視点を容易に持てるという特殊さがあることを
踏まえていうのですが(つまりこれは私の見解だと言うことです)
昔、村上春樹さんと河合隼雄さんの対談で言っていたことだと思うのですが、
誰もが少しずつ狂っている、
という言葉に私はいつも深くうなづきます。


そんなわけで、友人を怒らせてしまった私は、
う〜ん、う〜ん、う〜ん、と困って困って
一生懸命小さな脳みそ振り絞って、
とても慎重に対応した結果、
・・・・再び怒らせてしまいました(がくし・・・)。


以前から分かっていたことなのですが、どうやら、
私が他人にしてもらうとあまり嬉しくなかったりすることを、
その人はしてほしく、
私がしてほしいと思うことをしても、なんでそんなことするの?
みたいなコトになるわけです。


例えば、
私の場合は、とにかく相手に迷惑をかけるのがイヤなので、自分でできることは何でも一人でやろうとしますし、相手に負担をかけないことを大事にしているわけですが、
相手は、一緒にやってそばで見守っていてほしいし、自分にできることもそれが最上の愛情表現だったりします。


こう書くとあまりに普通のコトっぽくて、自分の困惑具合がたいしたことないことに見えてきてなんだかなんなのですが、
でもまぁそんな感じで衝突するいくつかの価値観を知ってみると、ほぇ〜、そうなのかー、とびっくらしちゃうのです。


これまで、相手に対してどうしたらいいか、というのを考えて色々試してきたわけですが
(いっぱい失敗してるから)
何しろ、自分がされて嫌なことというのは無意識のうちに選択肢からはずしていたので、
そのはずしていたところに答えがあった、
というのを発見したのはちょっと驚きなのでした。


でも、驚きはさておき、
無意識に避けていたぐらい避けていたものを採用するのは、
なかなか大変なことでございます。
まるで父が遺言で言い残した子供たちへの財産配分を書いた紙があるといわれて、必死に探しまわってもなかなか見つからず、ようやく見つけた洗濯機の底に打ち捨てられていたハズレ馬券の番号がそうだった、でもみたいなことを言われても、ええ〜〜、と思うようなものです。
(あまり的確とも思えない微妙な比喩ですみません)


うまく行かなかったら、別のことをやってみる。
その「別のこと」は、自由に選べます。
ただし、今ある選択肢を広げなければ、それは実は「別のことをやってみる」
ことにはならないのかもしれません。
いままで自分が思いもよらなかったことにまで手を広げることこそが、
本来の柔軟性であり、そして、自分の地図を大きくすることなのかもしれません。


そういう意味では、
自分ではない他の誰かはいつも、
新しく追加される地図のカギを運んできてくれる、
ありがたいメッセンジャーです。
そして、そのメッセージを受け取るかどうかを選ぶのも、
結局は自分の価値観の範囲内、なのだろうと思います。