ある小説(ドラマ)のパクリというわけじゃないんですけど。
今日は、私の大好きな、一緒に居るとハートがふわっとしてくるお友達と
新宿御苑でゆったりお散歩しながら、
その彼女に教わった話です。
目の前に自分自身を立たせてみて(イメージでも幽体離脱でもなんでもいいから)、
その「私」を
自分が担当する素材としてプロデュースするという視点。
少し客観的に、
「私」という素材の美点や特徴や持てる潜在能力を、いかにフルに引き出し、
人生という市場における輝く存在として売り出していくかが
プロデューサーとしての役目だと思うと、
不思議と、対象となる「私」が結構良いものに思えるし、
(ていうか、ウリを探すのが仕事だし)
人と違う変わったところは、売り出すには好都合だし、
多少マイナスポイントに見える部分があっても、
いかにそれをうまく利用するかがプロデューサとしての腕の振るいどころだし、
うまく行ったときには、大きな喜びだし、
できの悪い子ほど可愛いとも思えそうだし、
逆に高い能力があればそれはそれで、どれだけの大物に育てられるかが楽しみだし。
「私」をプロデュース。
それは、自分の生き方を見つけるために、
また特に長期的な展望を拓くために、
役立つ一つの視点かもしれません。
プラス、
NLPのコースを通して得たこととして彼女が挙げていたのは、
「自己重要感」でした。
それが、コースに出ていた人を劇的に変えたということでした。
でも私自身は、その劇的さを明確には感じていませんでした。
どうやら、その人々がNLPのコースを通して得た自己重要感は、
他者から褒められ、認められ、受け入れられることによってもたらされたようです。
でも、認められるという経験をわりとしているタイプ(あるいは、自己受容しやすい傾向を持つ人々といってもいいのですが)に、より必要なのは、別の形で得られる自己重要感であるかもしれないと思いました。
そして、その別の形で得られる自己重要感とは、自らの行動と努力によって得られるものです。
これは、車の両輪のように、二つのどちらかが足りなくてはスピードが上がらず、
いまいち馬力が足りなかったほうにエネルギーが注ぎ込まれて、
もう一方と同じスピードで動き始めたとき、
今までとは比較にならないスムーズで力強い走りが生まれるのかもしれない、
そう思いました。