のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

最近、占星術を習い始めてから、よく人に誕生日を聞きまくっています。
それでホロスコープをあけると、じつに色んな形(星の配置のパターン)が
あることだわぁと驚きます。


私が中級講座を受けている(まだ一回しか行ってないけど)まついなつきさんが
HPに書かれていたことが、ちょっと印象的でした。


というのは、
長く生きてると、自分の感じ方とか、自分の考え方のパターンとかに飽きてくる、というコメントです。
飽きてくる、ということに主眼があるのではなく、だから違いを持つ他者が
重要になる、とおっしゃってます。


自分の感じ方に飽きてくる、と思うのもその人の感じ方なので、
全然飽きない人も当然いるわけで、
少なくとも私は「飽きる」とは(とりあえずまだ)感じてはいないのですが、
つくづく、確かに人によって違うよな〜、というのを実感しつつあります。


この「人による違い」というのはここ最近、激しく実感することです。
もしかしたらこの「相違」への実感は、年とともに育ってくるものかもしれないと、とくに大学で学生相談なんかを受けていると思ったりもします。


何かいやなことがあったときに、
ライ麦畑でぼーっとしたいと思うか、
納屋を焼きたいと思うか、
ほんとに人それぞれ。


かが屋久島に旅行に行く、
それと同じ感情がもとで、
道を歩く他人の背中にナイフを突き立てる人がいる
そういうこともあるのだと思うのです。


そう考えると、
行動(反応)を変えるのって、意外に簡単かもしれません。
そして、行動が変われば状況が変わり、状況が変わって考え方や感情も変わっていくことでしょう。
このとき、全然違うことをし、違うことを感じる他者がそばにいるというのは、大きな意味があります。
誰かの存在は、ただそれだけで、他の誰かにとっての変化の力たりうるでしょう。
それがあるから「私」は私のままで、生き方を変えていける。
ずっと農学を学んできた私の癖で、つい植物に例えたくなるのですが、
成長に不可欠な水と栄養素と光の中で、
植物の形を一番ダイナミックに変えるのが光であることを考えれば、
誰かにとっての誰かはやっぱり、成長のための光、って言いたいです。


あなたは、私にとっての光です。