のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

真の願い

昨日、願いを叶えるために、1000回唱える方法を書いたけれど、
どうやら、物事がうまくいく流れというのは、視野狭窄的な私の目論見
なんかよりずっと偉大で、そして有難いもののようです。


たとえば、夜遅くまで終日出かけなければならない用事ができてしまい、
その日は、犬が長時間のお留守番&晩ごはんをあげられない、という問題が
発生しました。
(すんません、くだらない問題で)
私は途中で家に帰れるよう、別の人がその用事を肩代わりしてくれるように、
「**ちゃんが、○×してくれる。**ちゃんが○×してくれる」
と、口にしてみたわけです。
でも、10回ぐらいで、やめてしまいました。


なぜなら、どう見てもそれは私だけの都合だし、
相手にとって悪い話ではないけれど、あまり見込みもなさそうだ、
そう思ってしまったのです。


そして、その問題は自分なりにできる範囲で対応することとしました。


そしたら!
翌々日になり、犬のごはんをあげてくれる人がちゃんと現れたのです。
かくして、私の悩みはスッキリ解消。
客観的にはかなり下らなそうな悩みではありますが、私としては大きな
頭痛の種だったので、とても晴れやかな気分なのです♪


私はどうやら、「願望」の設定の仕方を間違えてました。
願うべきは、
「**ちゃんが、○×してくれること」
ではなくて、
「トビーが、いつもの時間にご飯を食べて誰かと安心した晩の時間を過ごせる」
ことだったのでした。
だから、最初の願いを唱えていたときに私は違和感を感じ、
あまり長く言いつづけることができなかったのでした。


それでも、願いは叶えられました。
よく無意識に願いを刷り込むときは、それがどうやって叶うかどうかは
考えなくていいから、とにかく叶ったときのことをイメージしなさい
といいますね。
そして、願いが叶うときには実際、自分の予想とはぜんぜん関係ない方法で
あっさり叶ってしまうことが多いといわれています。
一見、私のも同じケースに見えます。


でも、私の「願い」が叶ったのは潜在意識に落とし込んだおかげ、とは
あまり思えないのです。
だって、願いを唱えるのすら途中でやめてますしね。


それでも願いが叶えられました。
その理由は、私のせこい無意識落とし込み作戦を超えた、
もっと大いなる力にあるのだと、思わずにいられません。


多分、一番大切なことは、
「きもち」
にあるのかもしれません。
潜在意識にイメージを落とし込むことも大切で、それは
間違いなく有効です。
でもそれだけじゃなく、自分がおごらず謙虚で温和に楽しい気持ちで、
そして努力を続けていけば(その程度に応じて)、
私の解釈など及ばない大きな良き流れがちゃんと守ってくれるみたいです。


朝起きたとき、もし、曇り空が広がっていても、
気持ちまで暗くなる必要はありません。
必要なのことは、明るい日差しを見て心浮き立つことじゃなくて、
ただ、自分自身が楽しく暖かい気持ちでいること、
それだけなのかもしれません。