こんこん。
咳の音も、
雪が降る音も、
ノックの音も、
こんこん、ですね。
真ん中のは音じゃないかもしれませんケド。
うちのおっと君が、研究室の学生についていろいろ話をしてくれました。
彼には理解しがたい行動をとる、ある学生について。
自分の言ったことが、正しく理解できていないように見える、その相手について。
うんうん。
私は、うなづきながらその話を聴いていました。
こんこん。
私たちが内面に描く世界は、誰もが少しずつズレていて、
そこをうろつく歩き方もまた違うものです。
幸せな幻想を手放してしまえば、
みんな自分勝手な解釈だけを頼りに生きている、
それが日常なんだと言うしかないのだと思います。
けれど、その中で、それまで分からなかった相手の気持ちが
自分のものとして、スッと入ってくることがあります。
必死に、相手の言葉に思いを馳せ、そこに目を凝らしてみたときに、
ほんの一瞬、他者との間に立ち込める靄がすっと晴れるのです。
雪が降る中、
誰かがノックをして、
小さな咳の音は掻き消され・・・。
そして、その一瞬の後、晴れたはずの靄は瞬く間にあたり
一面に広がり、また私たちは、白い霞のなかに取り残されます。
私たちのよりどころは、同じ地面を踏みしめている、その
足元から続く大地にあるのか、
それとも、こうして呼吸している同じ空気のつながりにあるのか、
判然としないことも多いのだけれど。
悲しみが美しく見えるのはもしかしたら、
この世の全てを楽しもうとする欲張りな魂の特質ゆえかもしれません。
底なしの恐怖があるから、その後に訪れる平穏と安楽が極上の快楽に感じられるのは、ホラー映画を見たときだけとはかぎりません。
喜びも悲しみも怒りも慈しみも全て、ここにあることが有難い。
感じられることが、生きていることへの賛歌だと思うのです。
そして、理解できない他者がいるから、
他者を尊重する難しい試みを何度も繰り返すことが出来て、
そして、私たちの中に生まれる新しい自分を受け入れられる。
他者との違い、それ自体を大事にしていきたいと思います。
私とは違うあなたが尊重されるから、
あなたと違う私も尊重してもらえる。
違っていてよかったねと、
肩を叩きあった瞬間、また光が差して、
目の前の誰かをハッキリと見通せるのかももしれません。