のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

唐突なイメージ

最近、深層心理学講座というのを受けています。
それは、現代催眠の基礎的な講座なのですが、
先日、無意識を使ったリフレーミング、というようなものをやりました。


概略をいうと、
まず自分をイメージした物を一つ決めて、その絵を描きます。
そして、トランスに入ってそのものになってみます。


次に、こうなりたい自分というのをまた別の何か、動物でも物でも
いいので、それを決めます。
そしてその絵を描きます。


そしてまた、トランスに入り、なりたい自分として決めた絵に自分が
なってみて、どういう感じかを感じ、さらにその前の絵を見てまた
それになってみたときの感じを感じます。
これを交互にやっていくと・・・・、


あら?


夢うつつの中で、別の全く関係ないイメージが現れました。


ちなみに、私の場合最初に書いたのは、大きな樹木の絵です。
二回目に書いたのは、青い車の絵です。
そして、トランスの中で突発的に出てきたのは、


スーパーの野菜売り場、でした。


なぜ?野菜売り場が?
トランスに入りながらも、あまりに脈絡のないそのイメージに
戸惑いました。


目を開けると、その第3のイメージを絵に描いてくださいと
言われました。
まるで露地野菜の高騰を伝えるニュース番組の背景画のような
イメージしかもっていなかった私は、絵に描くというのがとても
難しく感じましたが、まぁとりあえず、書いてみたらそれは、
棚に載った大きなレタスの絵になりました。


レタスか・・・。


あまりにも現実的でかつチープなイメージに少しがっかりしながら、
それを見つめつつ、さらにトランス誘導が続いたわけです。


そして、一連の作業が終わって種明かしをされると、
最初書いた二つの絵は、自分の無意識的なイメージと意識的な
イメージであり、
3つ目は、無意識から生まれたその二つの統合されたイメージで、
そこに新しいリソースが見出される、とのことでした。


私の統合されたイメージは
レタス・・・。


まぁ、そのことはさておき、
こういう風に突拍子もないイメージが生まれるのって不思議だと思います。
そして、生まれたイメージを使うと、それまでの意識的にうまれていた
イメージへの解釈がどんどん変わっていって、それが結果的にセラピーに
なる、と言うわけなのですが、


それがどんな解釈だったかは、結局、後付けでしかないんだろうなぁと
思います。


たぶん、私の「レタス」がレタスでなければならない理由も
何もなく、
じつは途中で私は自分が書いたレタスの絵が、地球に見えた瞬間があって、
それから、その他の絵へのイメージも変わっていったのだけれど、
もしかしたら、海のイメージを見ていても結果として、同じ様な意識の変化
というのは感じられたのかもしれないと思います。


いつも思うことだけれど、
理論的解釈とか、判断とかそういうものは、
もやもやとした思想を、言語化できるレベルに引き落としている
気がします。
少なくとも、私の場合。


考えの「もやもや」があって、その靄の中を掻き分けながら歩いて、
必死に目を凝らして見つけた言葉の果実を摘み取って、
そして、それらで構成された構築物を組み立てる。
私にとっての思考って、そんなものだなと。


だから、なかなか完成された境地には到達できず、
いつまでも、書いていることは、
途中経過でしかないのかもしれないけれど、
でもまぁ、色んなときに、色んなところから、私に必要な何かが
降って来るから、結局それを一生懸命捕まえていくだけなのかなと、
そんな風にも思います。