のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

今日は、私が最近凝っている、東浩紀さん主催のゲンロンカフェによる、浅田彰×中沢新一×東浩紀さんらのトークショー、「現代思想の使命」の回をニコ生で見ている。

 私は、高校生の代ゼミのパンフで見て以来の中沢新一さんのミーハーファンで見始まったのだけれど、いやいや面白い。まだ途中で、ここで学べることはたくさんありそうだけれど、浅田さんの中沢さんがさくさくまとめていく第一次世界大戦から続き、今の世界のポピュリズムの席巻やテロリズムの多発に連なる、近代資本主義の流れに、なるほどぉーと、腕組みをしながら聞き入っていた。

 第一次世界大戦で、敗戦国であるドイツに返済不可能なまでの賠償金を背負わせたことが、その後のファシズムの台頭につながった。けれど、当時それに大反対をしていたのが経済学者ケインズで、第二次世界大戦終戦時に、今度は、マーシャルプランで敗戦国ドイツの借金を棒引きにする政策が進められた。その結果、その後の消費者と市場の育成が進み、世界的経済が繁栄に向かった。
 にもかかわらず、冷戦後どうしたかというと、負けたソ連に対しては、ゴルバチョフが願い出た援助を米国を筆頭に西欧諸国は無視し、その後のソ連の崩壊とロシア経済の破たんのなかでのエリツィンプーチンという流れを作ることになる。ついでに、そこからツィツエン、アフガニスタン侵攻、という流れにもなって、世界の怒涛の現在の不安定にも連なるんじゃないかと。
 
 浅田さんがいうには、「ケイジアンはモラリティに欠ける」けれども、そうやってじゃんじゃん敗戦国に贈与をすることが、その後の安定を作り出す、という考え方。
 これって、犯罪を犯した人をただ罰するのではなく、その犯罪の背景に思いを馳せ、その人の更生を支援する立場そのものなんじゃないかと思った。相手を許す、という個人の心理的、情動的働きは、国家間の関係にも、ひいては経済問題でも重要な機能を持っているということだ。
 まぁ、世界経済もすべては人間の心理に裏打ちされた行動が基盤になっているんだから、当たり前と言えば当たり前なのかもしれないけれど。

 放送では、ここで中沢さんが「倫理観」がすべて覆い隠してしまっていることへの警鐘を鳴らす。モラリティという名の鉄拳が、世界の平和と安全、個人の心の平穏をも破壊している、という指摘だ。
 ゆるゆるとした、調整可能な、可塑性の高い社会基盤、つまりは、他者に寛容な姿勢が、実は国家の平安には重要で、行き過ぎた資本主義の弊害を取り除くのにも役立つ、という結論になるのかもしれない。

 眠いので、ここまででひとまず、止まります。続きは、のちほど。(こういうのに対して、自分の意見まで書くには、よーっく考えないとなのだよね)