毎日、ブログを書くというのは、思ったよりも簡単じゃない。いや、ただ書き流すだけなら、難しくはないのだ。日本語の語彙はそれなりにあるわけだし、日々それほど何も考えていないわけでもないし。
けれど、多少なりとも興味深い、意義のありそうなことを書こうと思うと、それはそんなに容易ではない。その理由として、毎日の私の生活が、仕事に行って帰る。家で犬のトイレ掃除をして、ご飯をやり、自分のご飯を用意して食べる、というワンパターンの繰り返しだからかもしれない。
大学では、何人かの学生と会って話し、そこでもいろいろと思うことはあるけれど、守秘義務に関わるのでそこで見聞きしたことを、(ほとんどだれの目にも触れないブログであろうと)公のサーバーに書き連ねるわけにもいかない。なので、それ以外の部分で書こうと思うと、やれ総武線はどうしてあんなにいつも車内を風が吹き抜けて寒いんだろうとか、昨日もバイオリンのレッスンをさぼってしまったとか、数日前から犬を寝室で寝かせるようにしているが、すぐに寝付いてくれなくて夜中の2時ぐらいまで家を走り回って段ボール箱を破壊したりタオルを振り回したりして暴れているので朝起きた時の惨状がすごい・とか、くだらない話題しか思いつかないのだ。
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と、ここまで書いたら、当該犬が、目の前に設置されているサークル内でうんちをし始まったので、慌てて立ち上がり排泄物をキャッチした次第。
急がないと食ふんしてしまうので、一瞬の躊躇もなく、毅然と、大胆に、素早く、犬が顔を寄せてくる前にモノを掴むことが肝要である。幾度となく犬に先を越されて悔しい思いをしたが、ようやくその技を身に着けた。
そして、さきほども勝った(犬に)。
えーっと、何の話だっけか?
そうそう、私は、かなりありふれたくだらないことしか思いつかないから、興味深く意義深いブログの話題がないって話だ。でもこうやって書いてみると、そもそも自分の日常を、凡庸でくだらない毎日にしか見れていないところに問題があるのではないだろうか。
総武線各停のまっぴるまの車両をぴゅーぴゅー吹き抜ける風も、バイオリンの練習をさぼる原因の一つとなっている私の音のひどさは先生の200万円の弓で解決するのか?問題とか、探求や思索の視点、捉え方次第なのではないかと、ふと思ったのだった。
壮大な絵画も、シンプルな物のデッサンを積み重ねることから始まるように、私も日々のありふれた出来事について書き連ねていくことが大事なのだろうなと思う。
犬も、バリバリと、身の回りの用具・用品を破壊しながら、世の中を生き抜く強い歯と顎を育んでいっている。
洗濯バサミだって、ほらこの通り。
元の形状の跡形もない、どころか、もとのプラスチックの存在すらなくなっているが。
とにかく、どんなにありふれたものでも、よく噛みしめて、味わえ、と我が家の犬が教えてくれたのだ。
さながら、寺山修二のように(え?違った?)高尚な意義とか意味を求める小賢しさなんてかなぐり捨てて、街に出よと。