のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

働き方改革の影で・・・

 先日、あるところでちょっとショックな話を聴いた。ある専門職の方が、自分の会社で起きたある事件をきっかけに、会社の中にあるジェンダーの問題を認識したのだそうだ。

 守秘義務があるので、詳しくは書けないけれど、今、世をにぎわしている働き方改革、つまりはあちこちの会社で労災認定をされる長時間労働の問題の影には、ジェンダーの問題、企業文化における男尊女卑の問題もあった。けれど、そうした人々の認識の現状を現政府が問題にすることは、ほとんどない。
 むしろ、政権トップの思想自体が男性優位思考の塊なのだから、望むべくもないことなのかもしれないけれど。

 そんなわけで、改めて周りを見回した時に、ジェンダー的役割のステロタイプがあまりにもそこ、ここに溢れていて、いまさらながらだけれどびっくりする。
 例えば、昨日見た放送大学の空間地理情報の応用という科目。1回目で出てきたのは、2人の男性教諭と、1人の女性アシスタント(か、授業のガイド)。
 素朴に、なぜ女性のアシスタントがいる必要が?と疑問に思ってみはじまった。すると先生が、
 「GPSはみなさん知っているかと思いますが、GISっていうのは何かご存知でしょうか?」
などと、質問を振る。振られた女性は
「えー、GIS・・・。わかりません」
と答える。
 国土地理院に行って、3Dが視覚化された日本地図をみて、その女性が「わー、わー」と可愛らしく(ちょっとわざとらしいぐらいに)驚嘆して見せる。
 そういうのを見せられると、はー、そういう役割なのか、と納得する。新鮮なリアクションとともに「教えられる」受け身の役割だ。

 「こういうステロタイプ放送大学がだしてきたのよ。でも、考えてみると、こんなのばっかりだよね!」
と、私が夫に言うと、彼はちょっとうろたえて、
 「え、でも逆もあるんじゃない?よくできる語学の女性の先生と、ちょっと間抜けな男性生徒とか」
 たしかに。それはある。でも大体において、そういうとき女性が先生になるのは、あくまで「語学」だ。物理学とか数学とか気象学とか機械工学で女性の先生が出てきて教えているケースは、きっとほとんどない。

 そうやって、理系は女子は苦手で、できない位が可愛い、という社会通念が出来上がるんだなぁと、本当にいまさらながら感じる私なのだった。
 
 夫は、大学の人なので、動揺しながら、
「でも、大学とかは(そういう男女差別は)まだましな方じゃないかな?」
 という。確かに、夫は相手が女性だからと言って見下すことはほとんどないし、私としては、彼の肩を持ってあげたい。
 でも・・・、しかし無意識のうちに埋め込まれているんだよね。。私自身が、性役割を無意識のうちに飲み込まれてしまっているように。
 
 冒頭の話をしてくれた人が言っていたのは、ジェンダーについて勉強し、研究し、それに対して何らかの働きかけをしようと考えた時に、その場が、いかに女性ばかりで男性がいないかということに驚いた、ということだった。
 つまり、当事者であるはずの「男性」にとっては、そうしたジェンダー問題は、「問題」ではないのだ。

 それは、奴隷問題をどう解決するかの勉強会に、地主が出てこないようなものなのだろうか?
 もしそうなら、地主が勉強会に参加することを期待する方が間違っているんじゃないかと思うけれど、でも構図は違うと思いたい。
 だっておそらく、偏って固定化されたジェンダー観で不利益を被っているのは、女性だけではないと思うから。

 とすると、どんな比喩が合うのかな。
 眠くて思考が働かない・・・。でもとにかく、互いに協力し合って、それぞれがあるべき「役割」から解放される自由を享受できるとよいなぁと、自由ってなんだ?とかセルフ突込みで頭を抱えながらそこはかとなく、思う雨の寒い一日だった。