のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

研究者という仕事

 キャリアカウンセリングの新しいクライエントのために、情報収集をしていたら、「研究者を辞めた」という人のブログを見つけ、つい読んでしまった。

 その人は、ポスドクをへて大学の助教になってしばらくして、ふと研究への意欲、やりがいがないと気づき、研究者を辞めたというのだ。それによると、研究者は労働時間が長く休みも少なく、(学歴が長い割に)給料は安く、不安定な雇用形態で、将来が見通せない、待遇や条件がよろしくない仕事だ、というのだ。

 これは、昨日来た学生の「研究者ってお給料が安いっていうし(だから、院に進んで研究者になりたいとは思えない)」という話を思い出した。
 お給料が安い!?
 私は正直びっくりした。研究者って、お給料は良い方だと思っていたのだ。いや、特に高額というわけではなかったけれど、私自身、他の新卒の人々と比べても同等かちょっといいぐらいだったし、好きな興味があることやってるので勤務時間以外にも関連論文読んだりとか当然でそれが時間外労働かとかの概念すらなかったのだ。

 もしかしたら、これはあまりに私が純粋培養で、世間知らずの楽観主義者だったから、なのかもしれない。客観的に見たら、事情は全然違うのかもしれないよ?と不安になった。
 でも、でもでも、、と私の中の何かが呟く。
 
 「やりがい搾取」という言葉がある。やりがいがあるからと言って、安い給料でこき使えると思ったら、大間違いだぞ!という考え方がその元にある(と思う)。
 一方で、好きなことでお金をもらえるなら幸せ、という考え方もある。それが職業として成り立っているということ自体が幸福なので、当の本人はよほど困窮しない限り、待遇の改善を求めることはしない。
 その違いは、どこから生まれるのだろうと思う。

 私は、自分が面白いと思ってのめりこめることを仕事にしたい、と思ってきた。いまも、かなりそう思っている。だから正直、今の仕事はお金のためにやっている部分が大きくて、そのため何か日々落ち着かない感じがしているのかもしれない。
 じゃぁ、研究をやっていた時は、どうだったろう。

 今思い返してみると、お金をもらえること自体は研究者としてのプライドとか自己確認のためには大切な現実だった気がする。けれど、お金を稼ぐ手段として研究の仕事をしていたのでは決してなかった。むしろ、研究で新しい知見を得るとか、不思議な謎の事象を解明するとか、そういう研究で成果を出すこと自体のために働いていたし、その行為自体が楽しかったのだ。

 うん。今書いていて思った。今の仕事では、その仕事自体の中に働く目的や楽しみが薄いのかもしれない。瞬間、瞬間には、
「クライエントの役に立てている」というちょっと嬉しい実感があるけれど、それは映画で楽しいシーンを見た時みたいに、私の外側で起きたことを喜んでいるだけだ。自分自身の心の内側で起きていることではないのだ。

 しかし、こういう自分の中に湧き上がる喜びのために働ければ、給料が安くてもいいのか、というとそうはいかない。世の中の人は多くの人はそう考える。(のかな?自分が楽しいワクワクしたことができていないから、そうなってしまうのかなと思わないでもないけれど。)
 
 「安い」というのは相対的な問題なので、どのレベルがその人にとって搾取になるのかはそれぞれだし、そのレベルの決まり方もいろいろ話はあるかもしれないけれどそれはさておくとしても、とにかく普通に結婚して、子ども産んで育てるのに不自由ない暮らしをしたいんです、とそれが人生の最大目的になっている人も多い。先日相談に来た学生もそうだった。

 であれば、その仕事の内容のそのものによって自分の中に湧き上がる喜びと、自分が守りたい生活全般のクオリティと、どちらがその人にとって大切か、どのくらいのバランスで釣り合いをとりたいか、ということかもしれない。
 
 研究者を辞めたことに関しては、私もひとのことは言えない。私は、自分の中の研究への意欲が失せた時、あっさり研究者を辞めたのだ。もともとお金のための仕事ではなく、研究そのものへのLoveからやっていたのだから、当然のことだったと思う。長い労働時間でも、待遇でも将来の不安でもなく、ただ研究への愛が消えたのだ。
 (ブログのひとも、本当はそうなんじゃないかな。なのに、長時間労働とか、将来の不透明さとか、研究者の良くない点をいちいち項目立てて書きたてるのってどうなの。まるで、自分が好きじゃなくなったから別れた妻の、欠点を挙げて自分の選択を正当化しようとしている人みたいだ。)

 浅田真央ちゃんが、これだけ日本国民から愛されているのは、何かに夢中になって心底、愛することを、心の底で望んでいるからなんじゃないかな。
 でも、誰かを(何かを)熱烈に愛し、愛し続けるにもまた才能がいるのだ。羨望と忌避。
 そんな気がする。