のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

彼女の時間

 今日は、2回目のお花のお稽古日だった。昼間から降っていた雨は、夕方になり少し弱まっていたものの、私が仕事を終えてお稽古に向かう頃には、大粒の雨が容赦なく吹き付けてきた。今回は、先生の自宅でのお稽古なので、全く初めての道だったけれど、スマホを頼りに暗い住宅街の入り組んだ路地をくねくねと辿り、何とかたどり着けた。つくづくgoogleお見事、と思う。
 
 そんなわけで、本日の作品はこちら。

 あまり面白みがなく見えるかもしれないですけど、ご容赦ください。。ちなみに、今日はお題が与えられ、「水平に広がる構成」です。
 花材は、フェニックス(ヤシですな)、つる、アナスタシア(西洋菊です)。フェニックスは最初、孔雀の羽のように葉の先が長く、翼のように広がっていたのだけれど、私がちょきちょき刈り込んでしまったら、先生から「葉先を切らない方が良い」と言われた。前の先生のところでは結構フェニックスには手を入れていたのだが。先生なのか、地域なのかによって、扱いが違うのだなと思った。

 そしてお花は無事に活けおわり、8時過ぎに先生の家を出た。幸い雨はやんでいたけれど、なにしろ似たような家々の並ぶ住宅街で、さっき通ったところなのか違うのか、よくわからない。迷子すれすれになりながらも、なんとか駅までの15分ほどの道のりを無事歩いて戻り、電車に乗った。
 電車は会社帰りの人でいっぱいだったので、ドア近くに空間があり床が見通せるところを選んで乗りこんだら、すぐ前にセーラー襟がついた服の小さな女の子が立っていた。私もそう大きくないけれど、女の子の身長は私の半分ぐらいしかない。どう見ても小学校低学年だ。
 こんな遅い時間に一人で電車で帰宅?と少し驚いたが、それ以上に目を引いたのは、彼女が熱心に理科のテキストだか、通信教育の資料だかを一生懸命読んでいたことだ。単元を盗み見てみると、「日光と日陰の動き」とかなんとか。地球は自転をしていて、太陽がどのように空を動いていくか、とか、さらには地軸の傾きとかまで説明されている。なかなかに難しそうな地学の内容で、渋谷の街中を闊歩する中高生のかなりの割合が、理解できないのではないだろうか。
 なんと立派なことであろうか、と一瞬思ったけれど、よくみると彼女は半ばうんざりしたように口を閉じ、首は力なくかしげている。

 小さな背中と不釣り合いに大きく重そうなランドセルや、きちんと編み込みされた髪は、
「理科は好き?お勉強、熱心に頑張っているんだね。」
と声をかけたくなるぐらい、少女の幼さを示しているけれど、その表情からは、
「熱心とかじゃねーよ、こんなもん」
と吐き捨てるような答えが思わず浮かぶような、怒りともあきらめともとれる、鬱屈した思いが溢れているように見えた。

 次の停車駅で、女の子のすぐ隣で会話をしていた同僚らしき男女二人組の女の方が電車を降りた。すぐ横の席も空き、残った方の男性が、女の子に気づくと「ここに座る?」と声をかける。
 けれど、女の子は「ううん、いい」と、首を振ってこたえた。まるで、そういうのは期待しないようにしているんだと、ずっと保持し続けてきた世間への諦めを表明するかのように。


 しばらくして女の子は、読みかけていたテキストを仕舞い込んだ。そして、暗い表情で空を見つめている。1駅、2駅と、電車は進むけれど、女の子の降りる駅はまだ来ない。やがて、本当に疲れ果ててしまったのか、くるりと車内に背を向けると、ドアと座席の間の角に俯いたまま顔をうずめて動かなくなってしまった。
 眠い、
 疲れた、
 おなかすいた、
 もういやだ・・・、
 ばかやろー
 私は、彼女の心のなかの言葉を、思いつく限り代弁してみた。けれど、彼女の声はきこえない。
 いったい、この小さな女の子が、こんな夜遅くたった一人で、疲れて消耗して擦り切れたような大人たちの溜息が充満したような電車に揺られなければならない、どんな理由があるというのだろう。

 
 教育無償化とか、道徳教育とかもいいけれど(教育勅語はぜんぜんよくないけど)、何よりこんなふうにがんじがらめになって過ごす小学生がいるってどうなのよ。今の子供たちの時間の過ごし方が、子どもたち自身に何を残すかとか、もう少し考えてもいいのじゃないかと、そんなことを思う帰り道でした。