のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

”理系”の学生が学べるもの

 先日、前々から出たくないと思い続けてきた同窓会があった。その同窓会とは、大学での同じ学科のクラス会だったのだが、ご丁寧にも午前中には現役大学生との交流会イベントまで用意されていた。
 
 私は、成行きでその幹事団にも入っていて、幹事の準備期間も心中ぶつぶつ思い続けてきたのだが、それはともかく、そのイベントは大学生以外の方にもオープンに開かれていたので、同じ学部の卒業生で現在、高校の先生をしているという人もやってきた。

 その高校の先生をしている人から、こんな質問があった。
「いま、教え子で生物に興味があって、生物学科に進もうか迷っている生徒がいるのですが、生物系ではどんな力が身につくのでしょうか?その子へのアドバイスの参考になればと思うので、教えてください」

 よーく考えると、その人自身が我が農学部系の出身なのだから、まぁ人に聞くまでもない気がするのだけれど、そのイベントの趣旨としては、卒業生のキャリアは、生物系だけではなく色んな分野に広がっているよ、と知らしめるという趣旨(主に、イベント提唱者の要望)のもと、さまざまな仕事をしている人が集まっているので、そういう人々からの意見が聴きたかったのであろう。

 私は、大学で学生の相談を受けているので、それを知っている仲間からコメントを促された。何を言うべきか、少し考えて私が答えたのは次のようなことだ。
 高校生で生物に興味があっても、大学で研究が好きになるとは限らない。生物が好きとか、生き物の話に興味がある、というのと、大学で行われている「研究」とはまた話が別なので、むしろ、研究は向かない、と感じる人もいる。どんなことに興味を持つか、それは大学に行って視野を広げて、いろいろ経験してみて初めて見つかってくるものなので、まずは好きなことを学んでみるつもりで行って、ひとまずそこでの勉強を(それが何であれ)一生懸命やることで、身につく力はある。

 今思い返しても、なかなかざっくりしていて、あまり言いたいことが整理できていなかった気がする。

 そのあと、百貨店で働いている人から「理系で見につくのは論理的な思考力や分析力」とか、アメリカで研究者をやっている人から「加えて、観察力も研究には必要で、そうした力も身につく」といった話があった。

 その話を聞きながら、常にへそ曲がりな私は、本当にそうかな???と思い続けていた。
 理系で見につく論理的思考力、というのは良く一般に言われることだ。けれど、正直、学生と話していて論理的思考力が身についている感じがする学生と、そうでもない学生がいる。それは、理系か文系かで分けられているようには、あまり思えない。むしろ、その学生のもともとのポテンシャルや能力に依存している気がする。

 確かに、理系的な研究をすれば、論理的思考力は鍛えられる。けれど、社会学的な研究だって、論理的思考力は鍛えられるだろうし、文系でも論説文をきちんと書くには、論理的思考力は必須だ。むしろ、文系の文章の込み入った複雑なテーマにおける論理性は、とても単純化された卒論レベルの論理的思考力の比ではないように見える。
 下手すると、詭弁、ともとられうるぐらいの、技巧的な論理性(?)も獲得できるのだ。一方、理系の論理性は、条件を統一した仮定に基づくものが多いので、場合によっては現実にはそぐわない単純化された論理性しか、発揮できないかもしれない。(その"単純化”は、資本主義的お仕事の場合は、むしろ都合がよいというのもあるかもしれないけれど)

 しかも、学部レベルの大学教育では、まだ知識の暗記(生物系の場合は、この比重がさらに高い)的な講義が多いので、とてもそこで論理的な「思考」をするには至らないのが、実情ではないだろうか。いちおう、実験や演習というのもあるけれど、そんなのはいくらでも「レポートの写し」も可能だし、卒論をやらないことには「論理的思考力が身につきました」といばるほど訓練にはならない。

 さらにいえば、特に生物系ではありたちだけれど、「卒論」であっても、そこでどれだけ学生が訓練されうるかは、研究室の先生の指導力にものすごく左右される。学生のレベルに合わせて、指導をじっくりしてくれる先生もいれば、決まったテーマと手順を与えて、手足として使うことしかしない先生もいる。そうした先生の下で、学生自身が研究に興味がない場合は、「論理的に考える」という能力がどれほど身につくかは怪しいものだと、思ってしまうのだった。


 と、ずいぶん斜に構えたことをあれこれ書きましたが、つまり言いたいのは、「理系」に進めば論理的思考力が身につく、と単純に言えるほど、大学教育や指導教員のレベルが等しく保障されているわけではない。とくに、いまの大学教育の現状では。
 だから、「生物系に行ったらどんな力が身につくんですか?」と尋ねるような、ある種受け身の生徒に対しては、そういうあなたは、どんな力を身に着けてどうなりたいのか?それを先に考えてごらんなさい、といってやりたい。

 
 大学に行った=能力が身につく、というわけじゃないからね。


 正直、学部の時に学んだ知識は、その後何かの役に立ったかと言われると、私は研究職をしていたからその点では役立ったけれど、それ以外の職に就いた時あるいは、社会人として普通に生きている上では、やっぱり「役に立たない」・・のかな、と最近思っている。

 村上春樹さんは、早稲田大学に長年在籍していて、学生時代の勉強は、社会に出てからほとんど役に立たなかったといっていて、私は、ほんとーにそうかな?と、自分の経験を否定したくない気持ち半分で思ってきたけれど、齢五十を過ぎてしまうと、半ばあきらめ気味に認めるしかない気がする。


 最近は、中学校とかで生徒が、
「数学って、社会に出てどんな役に立つんですか?」
と聞かれて、どう応えるかという話がある。算数は、お買い物や日々の生活に必要だけれど、三角関数代数幾何学がなんの役に立つかっていうと、ちょっと答えには窮するのが、正直なところではないだろうか。


 行う仕事によっては、数学が役に立つ分野もあるし、数学をつかわない分野もある。それは現実的にそうなんだと思う。それはそのように、現実を認めてもいい気がする。その上で、ただそれでも、頭を使って難しいことをあれこれ考える訓練として、やってみることに意味はあるでしょう、と私だったら言おうかな。
 とはいえ、難しいことをあれこれ考えることをしていない大人も、結構たくさんいるよね。


 だから、万一、数学ができなくても、勉強したくないー、と思っても大丈夫だよ。きっと、他にも生きていく術はいろいろあるからね、と励ましてあげたい。