のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

日本の文化と欧米文化の違い

 今日、NHKスペシャル「激変する世界ビジネス “脱炭素革命”の衝撃」を見た。
 
 端的に私的まとめをすると、
 ・欧米を中心に、中国も含めて急激な脱炭素戦略方向へと、ビジネス界はかじ取りをしている。
 ・その流れについていこうと日本のいくつかの企業は必至な一方、日本政府はアジア諸国への高効率な火力発電技術の輸出に力を入れている。
 ・そのため、日本はいまや環境技術後進国とすらみなされ、欧米各国の大企業とのビジネス戦略の阻害要因となっている。

 この番組の作りというか、おそらく想定される主張としては、中国すらも、いっきに「脱炭素」へと舵をきって国策として自然エネルギーなどへの優遇策を出しているのに、日本の変化に対する鈍さは問題だ、ということになるのではないだろうか。
 私個人的には、「CO2排出による気候変動」が、事実ということになったんだっけ?科学的に、そう結論されたんだっけ??
という疑問が渦を巻いていた。
 が、望月さんのブログを読んでいくと、別の視点も浮かび上がった。

 つまり、一度決めたら、1か0かのいずれかで物事を進めずにはおかない欧米主義的考え、というか、主には一神教キリスト教的考えが、この「脱炭素社会」への流れの背景にはあるのではないかということだ。だから、思考様式、文化的、状況的相違を考慮して、暴力的なまでの方針転換の流れを作る欧米各社と、どう渡り合っていくかを判断する必要があるのかもしれない。

 日本の輸出する火力発電は、石炭の燃料効率を従来より17%アップさせたもので、インドやインドネシアなどでの空気汚染を軽減させる、というのがウリになっている。おそらく、自然エネルギーはなんだかんだ言ってもやっぱり不安定供給とか、コスト高とかの問題を抱えていて、発展途上国がそう簡単に取り入れて実用化できるものではないし、むしろ、効率がいい火力発電を増やすことが現地の直近の経済発展にもつながるだろう、という意図があるのだろう。

 どちらがいいか、とは一概に言えないし、とおい未来を見据えれば、CO2排出が気候変動の原因であろうとなかろうと、自然エネルギーの技術革新は、環境保護的観点から利点が多いのかもしれない。ただ、いきなり変える、というのは、他の様々な事情がある国々にとってはやっぱり乱暴な方針転換だろうし、欧米自身が、がんがんCO2出しまくったから今の状況ができているのに、その悪化を回避するために、他の人たちにまで自分たちの方針に従え!っていうのは、まぁ、横暴だよね。

 望月さんは、自分と同じように幼少期を日本で過ごして、そのあと英語圏にわたったカズオ・イシグロさんが、格調高いイギリス文学に惹かれていったことを「全く理解できない」とのべ、自分自身は、英語への強烈なアレルギーがあり続けたことを書いている。
 私は、カズオ・イシグロさんの小説はとても好きだし、結構アメリカ人の小説に好きなものが多いのだけれど、望月さんの文章と主張もとても興味深く面白い。
 他者を排除する姿勢への私特有の鈍感さがそこにはあるからかもしれないし(といっても、多くの日本人は望月さんほど英語に対する鋭敏な感覚、拒否感はないことでしょうが)、そういう主義主張のなさが、ある種とても日本人的でもあるのかもしれない。
 そしてもしかしたら逆説的だと思うのは、米国の大学で教育を受け、博士課程修了してからは日本での就職に腐心して日本に戻ってきた望月さんのなかには、やはり、18年間を米国で過ごす間に注ぎ込まれたものがあって、明確に独自の主張と思想を想像できているのではないかということだ。