のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

ドラマを見て勉強する

 最近、夫の影響を受けて、テレビドラマを見ている。
 といっても、夫はほぼすべてのドラマをチェックしているのに対し、私はせいぜいワンシーズンに1つか2つ。ちらちらと予告やタイトルをみて、気になるものをチェックする程度だ。

 そのなかで、わりと気に入っているのがNHKのドラマ10という枠でやっているドラマだ。毎週の予約設定がなされているので、自動的に録画が蓄積され、一応見てみるとその後も継続して視聴する、という流れ。
 その枠で現在やっているドラマが「デイジーラック」という作品だ。性格が異なる仲良し4人組が、うち1人の結婚式をきっかけに再会し、その後それぞれがたどる生き方が描かれる。この4人の女性は、仕事も恋愛観もバラバラだけれど、それぞれが現代にいそうないくつかのタイプを代表し、それぞれの悩みを抱えている。
 ひとりは、専業主婦となり、夫の不実を疑い頭を悩ませる。1人はキャリアウーマンとして邁進しようとするが、仕事でも恋愛でも挫折する。1人は、付き合っていた人との結婚に逃げ込もうとした矢先に別れを切り出され、破れかぶれで自分が好きだったパン職人を目指す、1人は、自分の好きを押し通して帽子デザイナーになったが商品が売れず生計が立てられない。

 さまざまなタイプの登場人物は、仕事での成功をめざすか、好きなことをして暮らすか、異性に尽くす人生か、などなどいろんな生き方を提示していて、誰でもどこかに感情移入できるような作りになっている。

 また、現代らしい要素も満載だ。初コンペに挑む仕事大好きバリキャリウーマンは、徹夜で働いているのに、会社での男性社員からセクハラ発言でうんざりさせられたり、パン作り職人を目指す主人公には、母親からの“そんな苦労するのやめて実家に帰ってらっしゃいよ〜”と自立を積む甘言攻撃が繰り出されたりする。おもわず、あるあるわ〜、うなづかされるエピソードがちょいちょいでてくる。

 しかし、見ているうちに、やっぱり展開はトラディショナルな方向に進んできた。キャリアウーマンがコンペで負けて、彼氏だったヒモ大学生と別れ、その後、ライバル会社のイケメン社員が急浮上してきたり、パン屋志望の主人公のこわーい師匠が、実はイケメンで理解があっていい人だったりするのだ。
 その展開に、ありゃ、これは少女漫画的?と思ったら、やっぱりそうだった。

 そして、その瞬間、私は頭を抱えてしまった。
 結局、女性は恋愛なのか。。。いや、男性にだって異性の存在は大事なんだけど、なんというか、女性向けのドラマやマンガには、ぜーったいに恋愛要素は欠かせないものなのだろうか?という問題提起(?)なのである。

 半沢直樹は、男ばっかりのドラマで、仕事を取り巻くいろいろ醜いどろどろはあるけれど、そこにほとんど女性は登場しない。銀行という組織の実情がそうだといえばそうなんだろうけど、そんなことより、彼らが仕事をするときは、おそらく恋愛(あるいは家庭)の問題は片隅に追いやられている、ように描かれる。けれど、女性が仕事をするときは、というか、人生に向き合うときには仕事と恋愛(あるいは家庭)が必ず並置され、その充実度が比較されるように描かれる。

 それは、なぜなのか?ということを、私は問いたいのである。
 私は、小さいころから少女漫画と少年漫画を両方読みながら育ったけれど、気づけば多かれ少なかれ、女性の自覚を植えつけられてしまっている。なので、高校の時から、男性と女性の違いをたびたび意識してきた。それは性差というべきなのか、生物学的、本能的違いがあるのだろうかと、考えながら、自分の中の女性的な部分を否定することもしばしばだったのだけれど。

 けれど、ここにきてこれは、社会的に刷り込まれた素養である、という研究結果に触れる機会があった。そこで改めて、大きな疑問が浮かんでいるのである。
 というわけで、女性がこんなに恋愛(あるいは異性との関係性)に注力するのは、こういうドラマとかマンガで強化されてのことなんじゃないか?と、ドラマを見ていて感じたのであった。
 この問題提起は、まだまだ続くのである。

 【追記】
 なぜ、こういう問題提起をするか。
 それは、私自身が高校の時から思っていたことにも通じる。つまり、恋愛(あるいは異性との、あるいはもっと大きく他者との関わり)などへの強い関心は、何かを成し遂げることを邪魔するのではないかと感じているから。
 簡単に言えば、何かの野望を抱き、それの実現にまっしぐらに進眼無くなるんじゃないかと思うから。