今日はチェーホフの『六号病棟』を読んだ。
この作品は、『ナラティブ・メディスン入門』(小森康永著)のなかで、医者が文学を学ぶ重要性を説いたエピソードのひとつで挙げられていた。
英文学を専攻し、その研究者に進む一歩手前で、医学者に転身し、精神科医となったコールズさんは、インターンの時に白血病末期の患者に立ち会う経験をした。患者の死に際、意味不明な言葉を投げかけられ、その意味を解することができずにいたとき、指導医から一冊の本とともに、
「チェーホフは、医師が生涯いつでも携えているべきものだよ」
と教えられたそうだ。
で、その6号病棟とは、どんな話なのか。
ネタバレをしてよいかわからないので、詳しくは、青空文庫の図書カード(6号病棟)で(*^^*)
で、読後はどうなのか。
何かあまりにも多くが含まれている作品で、とても一口に感想なんて言えない。
現実に横たわっている、狂気と正気の境目の不明瞭さとか、人間の狂気を「認定」する側の独善性や横暴さを見せつけられ、そして何より、その酷薄さと浅薄さが自分の中に深く巣食っていることにぞっとさせられてる。
また、知性や深い思慮など、私が価値を置いてきたものに対しても宿命的な瑕が暴かれ、あらゆる土台ががらがら崩れていくような、足元が掬われるような心持になり、とても安らかに癒される作品ではない。
でもそこには、やはり人間の普段の生活にも随所にみられる真実が描かれていて、だから、やはり読むべし、と思ってしまう。
受けた誤解がどれだけ真実と乖離しているとしても、事実は違うと、本人がいかに誠実に正直に、かつ明確に自信を持って表明しても、いくらでも無理解な幾ばくかの人が束になってかかれば、簡単に握りつぶされてしまう。
そして、たやすく心は頽れてしまう。
と、いうことを目の当たりにする。
そして、そのまま人生の終焉を迎えれば、本人の「認定」とは全く関係なしに、優勢を占めた「真実」が真実として残される。
来世?
たしかに、それも主人公の頭を、一瞬はよぎる。
けれど、一旦頽れたこころは、来世への希望も断ってしまうので、何も次に託されることはない。
ここに、救いはあるのか?
さぁ、どうだろうか・・・。きみは、どう思う?
と、チェーホフは言うのだろうか。