のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

昨今の不幸

 昨今の、日本社会の不幸は、配慮が行き届かない人々が、社会の上層部でご活躍されていることにあるのではないだろうか。

 自民党の、幹事長代行のOさんが、「赤ちゃんはママがいいに決まっている」との述べたという。
 いち保守主義者の個人的信条を、社会全体を当てはめようとする試みであり、現在よりも多くの人々がより幸せになるにはどうするか、といった発展的なことはカケラも考えていない意見だと思う。

 一方、世の中には、公平中立な立場で物事の真相を見出そうと、日々、努力を重ねている研究者の方々がいる。そういう人たちによえう知の蓄積により、三歳児神話は、いまや発達心理学や子育て心理学などの分野でも明確に否定されている。
 厚労省も、乳幼児期の健全な生育に母子密着が不可欠である事実はないと見解を示している。

 しかし、日本の与党のエライ人であるOさんは、そうした公平な知の蓄積と言うものを、一顧だにしない。個人的なノスタルジー溢れる記憶と願望を、当然の真理のように堂々と語る。
 ということも納得いかないのではあるけれど、問題は、きっと日本全国のかなり多くの人々が、
「うんうん、全くそうだ」と思うに違いないということだ。
 積極的にうなづかなくても、そうできない人への非難や、そうできない自分への罪悪感を、うっすらと抱かせ、それを長引かせる力があるだろうということだ。

 どんな思想であれ、それが長年ひろく普及し、定着し、しつこく維持されることが可能になるのは、その思想を都合よく利用できる勢力が一定数いて、その勢力が他者を支配的に縛る力を発揮できているからだと思う。

仮に、女性の方が男性よりも社会的な支配力が強かったら?
出産後、すぐに働く必要がある人々の方により発言権があったら?
子どもにいまいち愛情を感じられない人々の方が多数派だったら?
そしたら、3歳児神話は、今とは違った形になっていたかもしれない。

 「ママの方がいいに決まっている」ではなく「パパとも遊びたいに決まっている」と言ってもらえたかもしれない。
 「『赤の他人』様に預けられることが、本当に幸せか」よりも、「赤の他人からも深く愛されることが、その子の発育に与える影響」をもっと考えられたかもしれない。

 友達に国境がないといったちびまる子ちゃんを否定もいたけれど、なんだかずいぶん、視野の狭い人たちが多いなぁと思ってしまう。

 私たちの不幸は、考えが足りない人々を、上層部に抱いてしまったことにある、と感じたニュースであった。