のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

思い出した

 朝になり、きのう書いた「評価されたい気持ち」の出典を、突然思い出した。
全然本じゃなかった。山崎ナオコーラさんの、「液体ミルク」についてのインタビュー記事だった。

「もし父親から母乳が出たら…液体ミルクとナオコーラさん」朝日デジタル
(液体ミルク」が主題ではなかった・・・ぜんぜん)

 これは、彼女が書いた小説、「父乳の夢」に関連したインタビューだ。とつぜん、父親から母乳(父乳)が出ることで夫婦の関係や、子育てがどうなるのか、改めて考えさせられそうな(自分は読んでない)お話。
 インタビューの中で、ナオコーラさんは、イクメンをする父親の「妻」に認めてもらいたい気持ちについて述べている。

ちょっと抜粋すると、
「粉ミルクも使っていて、夫が作る途中に私をチラチラ見る視線を感じたり、「(温度が)40度だ!」などブツブツ大きな独り言を言ったりしていました。手間がかかっている姿を私に見せ、評価してもらいたがっているのでは、と思ったのもきっかけになりました。

 ――夫が育児で妻の評価を得たがってしまう?

 相手ではなく評価する人をみる心理です。子どものためにやることなのに、世の「イクメン」は妻へアピールする方を向いていないでしょうか。妻をサービスの相手や上司として見ているのです。」

たぶん、私のところには子どもがいないので余計にそうなのかもしれないけれど、とても納得するものがある。
この後に書かれていた、「学校や職場でずっと評価にさらされてきたことがしみついている」というのに深く深くうなづいたのだ。

そして、ここから私の思考は育児を離れる。私にも、評価される(されたい)という願望がいかに自然かつ強力に生まれてきているか、と思ったのだ。
もっとも私の場合、大学に入って以降、「職場」で評価されることは世の大奥のひとよりよっぽど少なかっただろうと思う。それでも、上司にどう思われているか、同僚にどう思われているか、クライエントにどう思われているか、講座の受講生にどう思われているか、それは常に頭を離れない。
そして、講座の受講後のアンケートを観るときの息苦しさといったら。。。

 評価に応えて、より良い結果を出そうとすること自体が、幸か不幸か、一本の道を突き進むことになる。
 学校で良い成績を取り、より頭がいい大学に進み、きちんとした会社に入り、その一員としてしっかり仕事をこなす。
 このプロセスのどこでも、自分が好きな横道にそれて別の方向を選んでもよかったはずなのだけれど、そして私は実際そうしたつもりだったのに、何故か今も、評価されたいと思う自分の気持ちに振り回されているのではないか。

 まぁそういう威張りがキツイ社会だから、なのか(そう思えば、仕方ないことかと思って少しほっとする)、
 もともと評価されようとする、受動的な人だから、なのか(その自覚はあるけど、それだけの人間だと思うと自分に失望する)、
 わからない。
 ただそれでも私の中には、人の評価なんかと無縁なところで心を開放してただ自由にやりたいことを好きにやりたい、と思う気持ちが常にあるきがする。