のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

動物園のたのしみ

3連休が、あっというまに終わってしまった。

1日目は、実家に帰り、結婚式を控えた姪の、ウェディングドレス選びの試着会に付き合い、
2日目は、友達と会ったり、犬のシャンプーに行ったり、私の整体に行ったり、
3日目は、お墓参りに行って、そのあと動物園に行ったりして、さまざまな予定をこなし、
それなりに充実していたともいえるのだけれど、お休みの終わりにはどうしてこう、ものさびしい気持ちがしてしまうのだろう。

 今日、3月20日は、上野動物園の開園記念日なのだそうだ。入り口に、「入場無料」とでかでかと掲げられていて、たくさんの人が吸乞いこまれていく。お昼を食べた後、我々もその流れに乗って中に入った。

 動物園の入り口すぐには、一番のウリであるジャイアントパンダのエリアがある。長蛇の列ができていて、「45分待ち」の札とある横を、我々は目を丸くしながら軽く素通りし、まっすぐ象舎に向かった。
 私は、象が好きなのだ。埃っぽい運動場には、4匹のアジアゾウがいた。ちょうど食事の時間らしく、足元に緑の牧草のような草が置かれている。しわだらけの長い鼻先で、一握りの草をつかみあげ、ぎゅっぎゅっと握っては口に放り込む。
 いつみても、器用な鼻だ。4本の太い足はしっかり地面を踏みしめ自由がきかないのと対照的に、長い鼻は、まるでそこだけ意思ある生き物みたいに、しなやかに伸びたり丸まったりしながら、自由に動き回っている。
 4匹それぞれ、草の握り方には個性があって、たっぷりとってしっかり塊にしてから食べるのもいれば、ざっくり一掴みとるとすぐ口に放り込んでいくのもいる。
 食べている間は、やることがあるけれど、食事時間が終わったらヒマだろうな、と思う。何もすることがない時、象たちはどうしているのだろう?
 
 今日は、祝日ということもあり、動物園のそこかしこに人がいっぱいだった。象舎の前にも常に2重3重の人だかりができていて、象は、草を食べながら、そうした観客を見る羽目になっていた。
 夜になり、象たちは寝床に帰り、何を考えるのか、どんな会話をしているのだろうか、と思う。乾燥に強い、しょぼくれた瞼の奥の、つぶらな瞳で遠くを見ながら、何を思うのだろう。

 ぞう1「・・・・?」
 ぞう2「・・・・!・・・。」
 ぞう3「・・・。」
 ぞう4「・・? ・・・・・!。}
こんな感じに、言葉をもたない会話が、なされるのだろうか。

 各自の名前は忘れたけれど、それぞれインド出身が2頭、タイ出身が2頭だった。象の世界に国籍や民族意識は100%ないと思うけれど、それぞれ、ひろびろとした故郷の風や光を懐かしく思い出したりするのだろうか、それとも、ぱくぱくと口を動かしたり手を振り回ししたりして落ち着きのない人間たちがたくさん来ていたことを、こそこそ話し合ったりもするのだろうか。

 私たちはほかにも、カワウソ、フクロウ、ライオン、ホッキョクグマ、ワシ・タカ、プレーリードックなどを見ていった。カワウソは、前に突き出したアクリルボックスの中で丸くなって至近距離から眺められたし、ホッキョクグマもなぜか前に出てきてステージ上を行ったり来たりするように何かアピールし続けていた。フクロウも人間を観察するかのように、木の枝の上でこちらをじっと観察し続けていたし、プレーリードックも、観客にむかって一列に並びながら草をもぐもぐと食んでいた。

 ライオンが、運動場の奥の方にある大きな石の上でそっぽを向いて寝そべっていたのを除くと、ほとんどの動物が人間の方を向いて、こちらを見つめたり、アピールしたり、慣れた様子で反応を示していたたように思う。

 狭い檻や、申し訳程度の運動場に閉じ込められているのは、どんな気持ちなのだろう。退屈な毎日が、変わり映えもなく続くことに、緩慢な絶望を感じたりはしないだろうか。
 けれど、一方で、決してサバンナでは見られない、奇妙な形の奇妙に興奮した大勢の動物を見られる。それが、多少なりとも興味深い出し物に感じていてもらえればいいのだけれど。

 毎日が、刺激のない同じことの繰り返し。
 退屈な動物園の動物にも、何か楽しみがあらんことを!