のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

無理ー

 カウンセリングは、難しい。
 つくづくと、そう思う。

 先日、公務員の採用試験を受けていた学生が、どこも不合格になり、仕方がないので民間も受けようかと思うのですが、と言って相談に来た。
 よくある話だ。

 これまでの経過など、ひとしきり話を聞き、公務員になろうと思ったのはどうして?と理由を聞くと、安定しているから、と相手は答えた。しかも、代々公務員の家計で、祖父も、親もそうだという。民間の仕事のように、自分の能力が足りなくて仕事を干されることもなく、会社がつぶれる心配もない。残業もほどほどにできて、ライフワークバランスも保てそうだから、と。
 これも、よく聞く話だ。

 ワークライフバランスを求めるのは、決して間違っているわけではないし、正直、公務員が財政破たんするのは夕張市ぐらいで、そう頻繁にある話ではない(いまのところ)。確かに、彼が求める地方公務員なら、残業時間も、忙しい企業に比べればさほど多くない可能性は高い(部署にもよるけど)。突出した能力がなくても、そこそこのお給料は保障される(目下)良い職場なのだろう。

 働きやすい、安定した、安全な職場で、ぬくぬくと老後、じゃなくて、就職後の人生を送りたい、と思う人にとっては理想なのかもしれない。

 けど、それを悪びれずに、当然のこととして語る様子を見ながら私の心の中では、
 「そういう考え方だから面接に落ちたんじゃないの?」
と、思わずにいられなかった。
 公務員予備校で、十数回の面接練習をしたのに自分は落ちたと言い、ほとんど面接練習して無い人もいたはずなんですけど、と自分の努力を自負している様子をみると、その努力の方向性は、正しいんですか?
と、思わずにいられない。

 きっと私は、ただ何の思慮もなく自らの安心と安全を最優先する(という風に見えた)人が好きではないに違いない。地域の人に貢献したい、と言いながら、その自分が言った言葉の意味さえ分かっていないし考えようともしていない浅はかさ(に感じた)に苛立ちを感じたに違いない。もっと仕事をすることの意味をもう少し自分で考え、お金をもらう責任に少しでも思いを馳せる、という姿勢を見せてほしかったに違いない。

 でもそういうのは、ほとんど見られなくて、だから私の頭のなかは、
「いやいやいや、それ違うでしょ、そんなことじゃダメでしょう」
の一点張りになってしまった。
 
 その結果、彼の話は、とても十分には聴けなくなってしまった。


 ラポール、という言葉がある。
 カウンセリングで大切な、クライエントとの信頼関係を築くことだ。カウンセリングでは、初対面の人に対して、自分の心の打ち明け話をするのだから、カウンセラーは、終始一貫して相手が、この人にだったら話してもいい、と思ってもらえるような信頼関係の構築に心を砕かなければならない。

 しかしそのとき、私は、明らかに、この人の話に耳を澄ませて力になりたい、と思うことができなくなっていたのだ。
 だって正直、世の中の「大人の常識」を一身に背負った彼への拒否感でいっぱいだったから。

 なんと自分は狭量なことか。
 そして、自分の狭量さが分かっていても、自分の言動はいかに制御不能なことか。
 つねづね、人には「自分の中に湧いてきた思いが分かれば、それをコントロールもできるようになる」と言ってきたけれど、ぜんぜんできないじゃぁないの。私は結局、自分が「かくあるべし」と思う信念を、他者に押し付けずにはいられない人なのだ。
 そんな諸々の事実を、改めて、まざまざと、見せつけられた瞬間だった。

 わかっちゃいるけどやめられない。
 まぁ、人間ってそもそもそうだよね。いったい何がどうして、自分で分かっていることが大事、とかいうのか。
 いやまぁ、分かっていないときの暴走は食い止められるというのはあるのかもしれないけれど。

 かくして、今日も私は、自らの至らなさに身悶えする。
 できないことの言い訳を、向いていないというレッテルに変えて、カウンセラーなんてやめてしまえと、自分に苛立ちをぶつける。
 やれやれ。