のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

マンション訪問の夕べ

昨日に、引き続き、もんじゃ焼きの牙城に出かけてきた。といっても、これはモデルルーム見学ではなく、昨日行った物件の目と鼻の先にある友人の家にみんなで集まったのだ。すごく近いだろうとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。駅から歩いている間、すぐ先のブロックに、昨夜私が写真を取り捲った建設中ビルの垂れ幕が見え、その近さに改めておどろいた。


というわけで、今年新築の場所に引っ越したばかりの彼女の家も、つい、モデルルーム見学で身に付いた習性そのまままの執拗さで見て回ってしまった。何しろ、もっとも有名な結婚情報誌の編集部勤めをしている彼女のセンスはとてもよい。部屋も、インテリアコーディネーターがコーディネートしたように洗練された統一感があり、白を基調とした家具の一つ一つに目が留まる。最近出産したばかりのあかちゃんのためのベットは、日当たりの良い窓際にゆったりと高くしつらえてあり、天蓋が付いていないのが不思議なくらい素敵な「お姫様のベット」だった。


エントランス、エレベータホール、玄関ドア、いろいろなところがとても上品で高級感があるマンション。わたしの憧れている据付のドラム式自動洗濯乾燥機もあるし、トイレもしっかりタンクレスだ。けれど、そんな装備よりも何よりも、彼女の暮らしぶりはいつ見てもとても優雅に思える。彼女のマンションにはIHヒーターはついていないが、彼女がガスを使っているならガスもいいな、と思えるし、それよりもすっきり機能的に収まったスパイスラックに小ぶりのCDプレーヤーと沢山のCDが並んでいる彼女のキッチンの方がずっと魅力的にみえるのだ。


いつも綺麗で幸せそうに笑う彼女。
心地よい美しい声でおしゃべりする彼女。
洗練された都会の快適な生活に中にぴったりとフィットしているその姿は、白いオーラで輝いているように見える。最近よく本で見るところの「運のいいひと」「なんでもうまく行く人」とは彼女のような人を言うんじゃないだろうかとすら感じる。本人は、そんなに何でもうまくことが運ぶわけじゃないし、いろいろ悩みだってあると言うかもしれないけれど、それでも、すごく人生を楽しんでいるようにみえる。


たぶん、彼女がとても恵まれて幸せそうに見えるのは、収入のせいでも、容姿のせいでも、就いている職のせいでもない。きっと別のところに理由があるんじゃないかと思う。


自分はとても運が良い、と思えること。
それを心から感謝できること。
それが幸せになる初めの一歩で、そのあともずっと大切なステップだ、斉藤一さんは言う。ときどき忘れがちなその言葉を、優しく子供に語りかけ、微笑みながらカウンターの向こうで料理の準備をし続ける彼女を見るたびに思い出す。


ああ、それなのに、私は我慢することでしか、人に親切にできない気がする。我慢しながら譲る、本心を隠して義務感から奉仕をする。そういう二重三重の気の回し方がイヤでたまらない。モノへの執着は何も無いといいながら、本音は色んなものがもったいなくてしかたない。


それが自分に必要が無いものでも、相手にとって価値があるなら惜しいと思ってしまうこの貧しさを、いつか捨てたい。何もかも、全てなげうつことができる自分になりたい。ずっと昔から「幸福の王子」に憧れている。