のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

百万ドルトリオによるベートーベンの大公トリオ

いまさらですが、村上春樹海辺のカフカを読み、大公トリオのCDを買った。
海辺のカフカの売れっぷりは、そりゃもう出版会における大事件、ぐらいな売れ行き、だったらしいので、多分このCDもそれはそれは売れたのではないだろうか。
私は世相に疎いのが自慢なので、「たのではないだろうか」ととくに深い感慨もなく言い放ちながら、でも自分ではちゃんとCDを買うあたりが律儀である。

といいつつ、いま聞いているのは、アマゾンで同時に購入したカザルスさんのバッハの無伴奏チェロ組曲。長い時を越えて、今、私の部屋に湧き上がり流れていく柔らかな音の連なり。

今日は、リーティングもする法子さんの家でEFTセミナーを7人にやった。結構まじめに取り組んだので、ちょっと疲れた気もする。でも、本当は不完全燃焼。もっともっと深くしつこく携わりたい。

さらに、法子さんにレイキをしてあげたら、御礼にプラーナ治療をしてくれた。右半身にとても強い緊張感があるという。とくに肩甲骨の辺り。
そうそう!そうなんですぅーそこがいつも痛むのです。
それに、ここにもありますね、右の腰のところ。
そです!そこ、そうなんですー。

子供の頃、何かあってそれがずっとここに強い緊張感として残っている、と紀子さんは言う。何かありましたか?
うーん、覚えてないんです。と私は答える。
小さな頃、とくに小学校低学年より小さな頃の記憶はほとんど無いんです。物心ついたころ、そう、中学生になったころから、すでに昔のことは思い出せなかったので、何かあったのかなぁ、と思ってはいるけれど、でもとにかく、思い出せない。

思い出してもいいころになったら、多分、思い出すのかもしれない。
今となっては、小学校の頃の自分なんて、ほとんど他人、ぐらいに感じているから。何があったとしても、別の世界の出来事みたいに感じるんじゃないかと思う。

といっても、体がしつこく緊張感を保ち続けているというのであれば、それは今でも私の記憶と経験として受け入れるべきものなのかもしれない。もしも、思い出すことがこの先あるとするのであれば。

もう今は、思い出したいと思うこともなくなってしまったけれど。
この先、思い出すことがあるのかどうか。
私は、封印が解かれるための準備をしているのだろうか。
私の好奇心がうっすらと目を開ける。