のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

母になるってどういうこと?

 日が過ぎるのが、早い。
 と、私は前回も書いたが、10日が過ぎた今日も、寸分たがわず同じことを思っている。自分の成長のなさというか、安定感というか、デジャブというか、にちょっとあきれる。

 それはさておき、最近、テレビドラマ「母になる」をいっきに見た。というのも、そのドラマで子どもが欲しい女性役を演じた小池栄子が、「とてもつらい役」で「神経が擦り切れる思いで撮影をしていた」という記事を読み、興味を持ったのだ。

 私には、子供がいない。○百万円ぐらい(といっても、両手で数えるにはさすがに至らないけど)のお金も投資して不妊治療もしたので、同じく現在子供がいない小池さんの「今の私にしかできない役」というのが、どんなものかが知りたかったのだ。

 登場人物は、育児に全力を尽くそうとする女性と、育児への苦手意識とうっとうしさを感じている女性と、どうしても子供がほしかったけれど自分では授からなかった女性。
 それぞれの立場から、女性にとっての「母になる」ことの意味を問う登場人物たち。

 ドラマの主人公は,沢尻エリカ演じる、育児に全力を尽くしていた「結子」だ。しかし、彼女の子供は、3歳の時に誘拐され目の前から姿を消す。そして、それがきっかけで、家族全体が壊れ離婚にまで至ってしまうが、9年後に突如としてその息子が戻ってくる。そこから家族を再生していく物語なのだけれど、裏の主人公は間違いなく、その失踪した3歳の子どもを9歳まで育てていた法の女性、小池栄子演じるところの「麻子」だと思う。

 結子が、夫や義母や友達に囲まれているのは対照的に、麻子の周囲には誰もいない。一時は結婚を考えた男性に捨てられ、母からは「女性の幸せは子供を産むこと」と強く諭され期待されつづけるなかで、精神的に追い込まれていく。そこに一筋の光明のように、偶然、誘拐された子どもを保護することになるのだ。けれど、紆余曲折あり、本来の親にその子を返さざるを得なくなる。そして、結子からは、もう二度と子どもとは逢わないで!ときつく言い渡され、それを受け入れるしかない。あとはたった一人で、自分が犯した罪を背負いながら、いとしい子どもを手放さなければならない寂しさや悲しみ、苦しみに耐える様子を見ていると、私は、
「誰か、力になってあげてー!!」
と思わずにいられない。

 結子さんも、いきなり自分の子供がいなくなり、それはそれは想像を絶する精神的苦痛やショックは相当のものだったと思うけど、でもあれだけ良い子になって帰ってきたんだから、育ての母に感謝してあげてもいいんじゃないかとか、二度と会わないでほしいとか冷たいこと言わずに、みんなで仲良く子育てすればいいじゃんー、とか勝手なことを考えてしまうのだ。

 麻子さんは、もともと誘拐犯ではなく、たまたま、連れ去られた3歳の子を見つけて、保護しただけだった。警察に届け出ようと思ったけれど、子どもがなついてしまって、カワイさにほだされて自分の子として育ててしまった。
 まぁ、・・良くないか。
 確かに犯罪かもしれない。
 でも、麻子の味方をする人はだれもおらず(最初は仲良かった息子でさえも、表立っては言わない)、なのに、彼女の心の声が言葉となって表れてさえこないのだ。それがまた私には、(たぶん自分の立場もあって)たいへんに切なく感じていた。
 ならいっそ、子どもは世の宝と思って、血縁とか関係なしに、みんなで育てていこうという気持ちで考える世のなかになれば、こんなに結子さんも麻子さんも、苦しくならなかったんじゃないかと思ったりもした。

 だって昔は、自分の子供も他人の子供もごっちゃになって育ててたり、乳母からお乳をもらって大きくなったりしていたわけですよね?そしたら、その頃は自分の子を他の人が育てる、ということにももっと鷹揚でいられたんじゃないかなと想像するのです。
 ほら、ライオンも猫も、群れで互いのこどもにお乳を飲ませ合ったりするし。

 現代は、物も人も、すべてが各人の専有物になり、その間には越えがたい壁ができている。それが、こんな窮屈な世間を作ってきてしまったんじゃないだろうか。
 ある国会議員が、公用車で子供を保育園に送っていったことで批判を浴びたり、議員中に妊娠、出産すること自体がけしからんみたいな話があったりするけど、それもつまりは、子育てはすべて個人の責任、子どもはあくまでもその家庭内でだけの存在、という認識だから出てくる不満なんじゃないだろうか。

 妊娠・出産によって仕事が中断されることを忌避するのは、男性優位社会だからという説もあるけど、実際それを批判する人は女性のなかにも多い気がする。実際、以前、不妊治療の末にようやく子供を授かった、そのときお世話になった女医さんがいなかったらきっと今も子供は持てなかった、と告白してくれた人ですら、ある女優さんが妊娠が分かって大河ドラマの役を降りた時に「無責任だ」と言ったのだ。それも、半年先のオンエアーですよ。
 なんとも私には、結構衝撃だった。

 周囲はそれはいろいろ大変なんだろうと思うけど、でもドラマの代役なんて、いくらでもいることでしょう。千載一遇のチャンスを逃した本人が悔やむならともかく、視聴者レベルなら、仕方ないねと受け入れてあげていいんじゃないだろうか。そして、そういう風に鷹揚になかなかなれないのは、仕事が大変すぎるとか、恐怖の「自己責任」的な意識が、強くなりすぎたからなんじゃないかと、思たりする。

 ちょっと話がズレた。
 まぁとにかく、もともと私が考えたかったのは、「母にならなかった人は何になるのか?」のほうなんだけど、このドラマにはいろいろ考えさせられた。そして、今もちょっと考え続けている。