のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

セクハラについてのそれぞれの考え方

 その後、財務次官セクハラ騒動については、いろんな意見が出てきている。
 麻生さんとかが、「じゃぁ、男の記者に変えればいい」とか言っていて、ほんっとう〜〜〜に、日本を代表する大臣自らが、日本のジェンダー指数の低さを堂々と証明してくれちゃうんだなぁと思う。
 
 永田町とか霞が関とかは、考えてみれば日本の権力のトップが集まっているところでもあるので、男尊女卑の牙城、みたいな場所なのだろう。
 上昇志向がある人ほど、今の環境で自分が先に躍り出ることを優先するだろうし。トップに立つためにさまざまなやり方に手を染めるだろうし。
 そして上り詰めることができたということは、その手練手管に自分が染まり、その組織にしっかり根を張ったということでもあり、そのポジションを維持するためにも、もう環境を変えるなんてことはしたくなくなるのだろう。

 女性の中にすら、セクハラの告発に否定的な人がいる。上手く取り入ってやってこれてるんだから、余計な波風立てないでほしい、と思っているのかもしれない。
 うまく「男性を立てて」きたり、うまく「女性の武器」を使って来たりすると、そういう価値観が内面化するのだろう。

 でも見ていると、基本的には「女性の言い分」と「男性の言い分」というのは、結構分かれ気味な感じがする。とある研究論文高によると、男女差別の意識が少なくて、男女関係なく活動できる社会になるほど、男女の差異を見た目などで誇示する傾向が強くなるそうな。
 出典がわからないのだけれど、たとえば、マレーシアなどよりもアメリカなどの方が、女性はよりセクシーな服を着るとかね。たしかに、イスラム社会と比較してもそうかも。
 とすると、女性の地位が上がるほど、男性はセルフコントロールとかをより強いられて大変になる、ということなのだろうか?と素朴な疑問がわいてきた。
 
 女性の受難が減れば、その分それは男性の受難となって降りかかる、のであれば、それはあまり幸せな未来ではない。
 女性の受難がへることで、男性の受難も減る、そんなセクハラ撲滅の方法があってほしいと思う。

 あとこれは余談だけど、つるの剛士が、「セクハラをされたとする女性記者もかなり卑怯である」に"いいね"をしたというツィートを見かけた。
 どうやら、彼はねとうよさんを沢山フォローしているらしい。そこから、彼がそういう考え方の人、と解釈することもできるけれど、人間は環境の生物だから、何かのきっかけでフォローすることになって、そういう「教育」を受けた結果、という可能性を強く感じる。
 素直な、あまりひねくれていない人ほど、「組織人として」とか、「記者のあるべき姿」とか言われると、容易に被害者を批判する側に回っちゃうんじゃないかなと思ったりもする。